グラハム・フォイ監督「メイデン」(★★★★+★)(KBCシネマ、スクリーン2、2025年05月06日)
監督 グラハム・フォイ 出演 ジャクソン・スルイター、ヘイリー・ネス、マルセル・T・ヒメネス
短編小説の「連作」のような映画。ストーリーはつながっているといえばつながっているが、つながっていない(矛盾している)といえばつながっていない。短編連作では、それは現実と夢との交錯という形で処理できるが、映画ではなかなかむずかしい。抽象的な「ことば」ではなく、映画にはどうしても役者という肉体が介在してしまうからである。肉体が介在すると、これは夢(幻想/想像)といっても、どうしても夢からはみ出して「現実」になってしまうものがある。それが映画の(あるいは芝居の)強みであるが、どうすることのできない弱みでもある。
この問題点を、この映画は、映像文体の統一感、ストーリーには直接関係のないセリフのリアリティで超越してしまう。映像文体の統一感は、カメラの力によるところもあるが、セリフのストーリーとは無関係な現実のリアリティ、現実の切り取り方というのは、なかなかすごい。どうしたって観客はストーリーを見てしまう。セリフのなかにストーリーの鍵を探してしまう。以前書いた大九明子監督「今日の空が一番好き、とまだ言えない僕は」は、セリフの伏線(種明かし)が露骨で映画を映画ではなく安直な大衆小説にしてしまっていたが、そんなヘマをこの映画はしでかさない。それが、とてもいい。
映像の統一感は、見てもらえばわかることだが、見える部分と見えない部分のバランスがとてもいい。人間の目というものは、何かを見ているとき、同時に何かを見ていない。見ていないものを含めて世界が成り立っている。そのことをこの映画は、しっかり意識してつくられている。
私がいちばん感心したのは、この映画を短編連作三部作とすれば、その第一部のクライマックスの貨車の映像である。延々とつづく。終わらないのじゃないかと思うくらい長い。暗くなった空を背景に、貨車が走っていく。そのあいだ、主人公は何もすることができない。その時間の長さが、そのまま映像として展開される。その貨車に何を見るか。その貨車を見ながら何を感じる。そんなことを、この映画は「小細工」なしに、ただ延々と貨車を映し出すことで表現している。ここで何も感じないなら(主人公に感情移入し、主人公になってしまわないなら)、それはもう、これから先、何を見ても同じだろう。
第二部では、あの単調な、いつになった貨車のシーンが終わるのかという絶望とは逆の、不思議に変化にとんだ街路樹の映像がある。第二部の主人公が、ひとりで帰宅する路。街路樹を見上げながら歩く。そのスピードの変化にあわせてスクリーンの横への動きが早くなったら遅くなったりする。これを歩道を映さず、見上げる街路樹の梢の動きの変化だけでとらえる。あ、主人公の考えは、いま乱れている。後悔し、いや、あれで正しかったんだと言い聞かせてもいる。その揺らぎと映像の、スピードの乱れがとてもすばらしい。映画には、こんなことができるのだ。このときの映像を「ことば」で(短編小説で)表現するには、志賀直哉か大岡昇平、あるいは森鴎外のような厳しさが必要だろう。思わず、うなってしまう。
第三部は、「まとめ」を意識しているためか、第一部、第二部ほど、はっとさせられる映像には出会わなかったが、主人公のふたりがつかずはなれず、誘われているか誘っているか、わからないまま離れられない感じが、第一部、第二部に通じる「自然(風景)」の色調でとらえられているがよかった。と書いたところで、つけくわえておくと、背景(風景)をとらえるときの色調、明暗の感じが一貫していて、それがこの映画を統一しているのも、とてもいい感じだ。思春期の孤独と不安が、いやみにならず、静かに広がる色調、明暗である。
第一部から第二部への「移行」のとき、「日記」がつかわれるのが、少し小説の技法に似ていて、私には不満だが、しようがないかもしれないなあ、と思う。あの「日記」を見た瞬間に、第二部がどうなるかわかってしまうというのが欠点だが、小説を読み慣れていないひとには欠点には見えないかもしれない。逆にすばらしい小道具の使い方に見えるかもしれない。
「傑作(★5個)」という映画ではないが、この監督を応援したい気持ちを込めて黒星を追加し、5個にしてみた。わからないひとにはわからなくてもいい、ことばでは説明はしないという姿勢を守り通していることに敬意をあらわしたい。がんばれ、グラハム・フォイ監督!
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