鈴木ユリイカ『サイードから風が吹いてくると』(書肆侃侃房、2020年08月06日発行)
きのう「根気」「積み重ね」という、「地味」なことを書いた。それはちょっと「現代詩」や「詩」とは無縁なことのように見えるかもしれない。でも、そうではない。「根気」「積み重ね」はいろいろな形をとる。
鈴木ユリイカ『サイードから風が吹いてくると』。その巻頭の「HIROSHIMA MON AMOR」。詩集の発行日は、広島原爆の日にあわせられている。どうしても書かなければならないことがある。そういう思いをあらわすために、巻頭に掲載しているのだろう。
その都市(まち)を歩いたひとは誰でも
都市が信じられないほど美しいのに気づくに違いない
その都市を歩いたひとは誰でも
奇跡のように心臓に新しい血が流れ
その都市を歩いたひとは誰でも
一歩一歩新しく生きはじめるに違いない
その都市を飛んだ鳥が緑の川面をすべり
どんなにすばらしい曲線を描いてひとの夢の中をすべるかを見るだろう
その都市を歩いたひとは誰でも
人間のように話をする木に驚くだろう
その都市に立っている彫像の心臓が
たとえ大理石でもたちまちに動きだすのを見るだろう
その都市を歩いたひとは不思議なことに
知らないひとでも愛しはじめるのだ たちまちに
「その都市を歩いたひとは誰でも」が繰り返される。これは「積み重ね」であり「根気」である。技巧としてのリフレインではない。(技巧としてのリフレインにも、根気、積み重ねはあるだろうけれど。)
「その都市を歩いたひとは誰でも」と繰り返す数だけ、鈴木は広島を歩いている。歩くたびに、一歩一歩、広島を発見している。その発見したものを「根気」づよく、「積み重ね」ている。
繰り返される「その都市を歩いたひとは誰でも」を省略して読んでみると、わかる。「意味」そのものは、大きくは変わらない。むしろ、「論理」がすっきりと立ち上がってくるかもしれない。
でも、鈴木は、そういう「論理」の経済的展開を拒んでいる。
何度も繰り返すのだ。
それは次の連でも展開される。
奇跡というものについて わたしは知らない
けれどもその都市に住む人びとは
多くを語らない 語ることができないのだと思う
奇跡というものをわたしは知らない
けれどもその都市の人びとは自分たちが
生きていることは奇跡だと思っているかも知れない
心臓が脈打って息をして目が見えることや
耳がきこえることが
鳥が見えたり海が見えることが
子どもたちの声が聞こえることが そして
黙って生きていることが
これは一連目の「都市が信じられないほど美しい」をさらに言い直したもの、つまり「根気」強く、「積み重ね」なおしたものである。(一連目全体が「都市が信じられないほど美しい」の言い直しであることを考えれば、二連目は一連目の言い直し、いわゆる「起承転結」の「承」になるともいえる。)
「美しい/奇跡」。「奇跡」とは何か。「生きていること」と言い直し、「心臓の脈打ち」と言い直し、「息をしていること」「目が見えること」「耳が聞こえること」と言い直していく。その「根気」。その「積み重ね」。ここには「手抜き」はない。自分のことばでつかみとれる大きさのものをひとつひとつ選び、ひとつひとつ積み重ねていく。
この「根気」がゆるがないとき、そこに自然に、詩の形があらわれてくる。
冬のはじめのその都市をわたしたちは歩いた
川の辺りの桜の葉はまだ落ちてなかった
友は椎の実を拾ってわたしの手に握らせた
奇跡のようにわたしの心臓に新しい血が流れていた
わたしは知らないひとを愛しはじめていた
一連目の終わりの「愛する」が繰り返されている。「予感」だったものが「現実」になっている。そこへたどりつくには、「根気(積み重ね)」が必要なのだ。
この鈴木の詩に「根気」とか「積み重ね」ということば(批評)は不似合いかもしれない。たぶん、誰もこの鈴木の詩から「根気」とか「積み重ね」というひとの生き方(思想)を導き出したりはしないだろうけれど、私は、なんといえばいいのか、おおげさなことばではなく、「根気」「積み重ね」というようなところから、近づいて行きたいのである。「根気」のなかに、そのひとの「正直」が生きている。
「根気」「積み重ね」というような、小学生からお年寄りまでをつなぐ「生き方」をあらわすことばのなかに、「思想」はある。「愛する」ということは、「根気」のいることであり、その「積み重ね」はときに疲労をもたらすこともある。けれども、知っていることを「根気」よくつづけるしか、広島を繰り返さないための方法はないのである、とも考えたりする。
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