小児の掌ほどに世界が小さくなつて
ぼくの胸におさまるのだ
これは願望だろうか。それとも絶望だろうか。
「小児の掌」をどう読むか。純粋さと読むか、脆弱さと読むか。「小さくなる」は否定的なイメージをもつが、純粋さ(結晶)にもつながる。
おそらく嵯峨は「願望」(希望)のようなものを書こうとしているのだと思う。多くの嵯峨の詩にあるのも、そういう「青春の夢/抒情」だからである。
だからこそ、私は「絶望」と読んでみいたい気持ちに襲われる。「ぼくも絶望することがあるのだ/絶望を疑うのか」と叫んでいると読みたい気持ちになる。
理由はない。
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詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
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