嵯峨信之『詩集未収録詩篇』を読む(81) | 詩はどこにあるか

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* (ぼくにはそのぜんたいを埋めることはできなかつた)

ところどころでも桜草を植えてみた

 「そのぜんたい」の「その」は何を指しているか。この詩からはわからない。わかるのは、嵯峨が「その」と意識していることだけだ。
 「ぜんたい」に対しては「ところどころ」が向き合っている。
 「ところどころ」というのは離れた場所をあらわしているだろう。
 この「分断(非連続)」が「できなかった」ということばを強調しているように感じられる。



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詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
オンデマンドで販売しています。100ページ。1500円(送料250円)
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