FaceBookに書いたことなのだけれど。(フェイスブックでは、他の人の文章に紛れ込んでしまうので、再掲載しておく。)
東京都知事選で小池が勝利したことに関すること。
二つのことを書いた。(ほんとうは、ひとつなのだけれど、二回にわけて書いた。
★その一。
小池の勝利。
これが意味することは、たったひとつ。
選挙戦ができないときは、現職が絶対に勝つ、ということ。
安倍は、すぐにでも衆院選をやりたいだろうなあ。
コロナ不安で、街頭演説は充分にはできない。
あした総選挙があれば、失敗だらけの安倍だけれど、絶対に自民党が圧勝する。
小池が、それを証明して見せてくれた。
どんなにコロナ感染者が増えようが、コロナは「夜の街」のせい、とだれかを「排除する」作戦に徹すれば、それだけで現職は勝てるのである。
「悪いのは、あの人たちのせい」
安倍も、その作戦を取る。
「休業したら、生きていけないでしょ?」
「悪いのは、あなたがたではない。悪いのはあの人たちだ」
だが、病気の人を批判してどうなるのだ。
病気を人も安心して生きていけるようにするのが政治のはずだ。
「悪いのは、あの人たちだ」
こういう論法を許せば、「あの人たち」は次々に拡大されていく。
ホームレスが悪い、生活保護を受けている人が悪い、引きこもりが悪い、etc.
きっと、老後資金を2000万円準備しなかった人が悪い、いつまでも年金に頼っている高齢者が悪い、という具合に広がっていく。
「弱いものいじめ」が横行する社会になる。
★その2
新型コロナに対する「政権」の対応の仕方、初期から一貫して変わっていないと思う。それをそのまま「バージョンアップ」して、小池は展開した。そして、それが都知事選で代成功した。
新型コロナが発生した当初、「医療崩壊が起きる」と叫ばれた。これは、新型コロナ患者が押し寄せると、高額医療費を支払っている「金持ちの患者」を救えない。救えるはずの患者が救えなくなるというかたちで最初に表面化した。(これは、言い換えれば、貧乏な患者の面倒をみていたら、金持ちの患者の治療に専念できない、という主張だ。医療崩壊の前に、「医療倫理崩壊」が始まっていた。)
最初から、選別が行われていた。
今度の選挙では、その選別を「夜の街」に焦点をしぼってやっている。
「貧乏な患者」の面倒をみていたのでは収入にならない、高額医療費を支払ってくれる「金持ち患者」を守れ(医療収入を守れ)というかわりに、「不道徳な患者」を許すな、というかたちに変わってきている。
これは「作戦変更」であり、その作戦変更にあたって「貧乏な患者」を味方に引きつけようとしている。
「夜の街の不道徳な患者」を排除すれば、「貧乏な患者」も診察できる。悪いのは、「不道徳な患者」だ、という風潮をつくろうとしている。
この「作戦変更」には、やはり「医療倫理(経済)」が関係している。
医療体制が少し整ってきた。「貧乏な患者」も診察することにして、収入を増やしたい。
医療機関の「トップ」がそう思い始めたのだ。それを小池は代弁しただけ。
「夜の街」であろうと、「昼の街」であろうと、ひとのいのちはひとのいのち。それが無視されている。
そして、これは、一貫して同じことであるとも言える。
ひとことで言い直せば「貧乏人は切り捨ててかまわない」。
「夜の街の従業員」とは、ようするに「大企業に就職できなかった貧乏人」を言い直しているにすぎない。
「大企業に就職できない貧乏人」が感染を広げると、大企業の活動ができなくなる。それは許せない、ということを、ことばを変えて言っているだけだ。
「夜の街(不道徳)」をやり玉に挙げれば、大企業にこきつかわれている下請けの貧乏人も、口をそろえて「夜の街が悪い」と言ってくれる。
その「作戦」が、完全に成功したのが都知事選だ。
この「差別」をつくりだすことで、「貧乏人」の不満をごまかしてしまうというのは、江戸時代の「士農工商」のやり方と同じだ。農民は貧乏だが、「商業」をやっているひとよりも偉いのだ、とごまかす。さらに「士農工商」の下に「被差別階層」をつくりだし、「商業人」を「あなたよりまだ下がいる」と持ち上げる。
時代は「戦前」どころか「江戸時代」にもどっている。
「お殿様」が一番偉い。「お殿様」のいうことを聞かない奴は許さない。
安倍は、絶対にこの「小池作戦」(差別できる対象をでっちあげる作戦)を真似する。「①お殿様が一番偉い」「②次に、あのひとたち以外の国民が偉い」「③悪いのは、あの人たちだ」。もちろん①②は言わない。③だけをいう。
衆院選が近づいた、と私は感じている。