嵯峨信之『詩集未収録詩篇』を読む(68) | 詩はどこにあるか

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* (だれも愛さない)

枯れつくした芝生の上を歩くような日々である

 これは「現実」だろうか。「比喩」だろうか。「現実」が「比喩」になったのだろうか。もし、そうだとすると、それは何を言い表そうとしているのか。

いつかの言葉は憶えているが
きょう一日が過ぎてしまうとその言葉も忘れてしまう

 「憶えている」のは「枯れていない芝生」。そういうものが「かつて」は存在した。「いま」は存在しない。そして同じように「いま」存在しているものも、いつか(将来)には消えてしまう。
 これが「愛さない」ということなのだ。「いま」の問題ではなく、「過去」「いま」「未来」へとつながっていく「時間」が浮かびあがってくる。



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詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
オンデマンドで販売しています。100ページ。1500円(送料250円)
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