泪はすがたをあらわす
この「泪」は、だれの涙か。ふつうは嵯峨の涙(筆者の涙)を想像する。しかし、嵯峨は、こう書く。
だれがながしたのか泪は小さな玉を結ぶ
それでも一言が生まれるにはまだほど遠い
「他人」の涙だ。だれかが泣く。しかし、この「だれが」は複雑である。ほかの「だれか」ではなく自分であるけれど、それを「だれが」と客観化している。
「一言」を「生む」のは嵯峨にほかならないからだ。
詩のなかでは「主客」は融合してしまうのだ。
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詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
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