嵯峨信之『詩集未収録詩篇』を読む(34 ) | 詩はどこにあるか

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* (死という言葉には)

ただ所有だけがある

 何を所有するのか。「意味」か。

 抽象的なことばは、その抽象性ゆえに、どんなふうにでも「論理」になりうる。「かなしみ」も「よろこび」も死ということばはもたらすことができる。そのとき「死という言葉」は「かなみしみ」も「よろこび」ももっていたことになる。
 「希望」「絶望」「拒絶」も、あるいは「非所有」さえも。
 こういうとき、読むのは、嵯峨の「ことば」ではなく、読者自身の「肉体」(時間)ということになる。
 ひとはだれでも自分を読むことしかできない、と知らされる。







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詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
オンデマンドで販売しています。100ページ。1500円(送料250円)
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