ぼくを愛する女は
どんな小さな器の中でもぼくをとらえ
どんな大洋の中でも目ざとくぼくを発見する
「未収録詩篇」にはことばの動きがつかみにくいものが多い。嵯峨自身の肉体のなかでことばが整理されていないのかもしれない。未整理の部分が多いのは、無意識が無意識のまま動いているということだろう。
「小さな器」と「大洋(大きな海、器には入りきれないもの)」が対比されたあと、「とらえる」が「発見する」と言い直される。その運動のなかに「目ざとく」ということばが入ってきている。
この「目ざとく」がこの詩のポイントだ。私の印象では「目ざとく(目ざとい)」には何か批判的なものが感じられる。愛してくれる女を、「ぼく」はそれほど愛していないのかもしれない。
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詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
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