嵯峨信之『小詩無辺』(1994)を読む(31) | 詩はどこにあるか

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花束のように

大きな花束のように
ぼくの全部をいま手に重く持つてみたい


 「花束」は「ぼく」の比喩である。そして「花束」は「美しい」ではなく「重い(重く)」ということばに結晶していく。この「重い」は「美しい」よりも、はるかに「奢り」というものを感じさせる。そして、それは悪い意味ではない。思わず、ほ「ほーっ」とため息が漏れる。みとれてしまう。
 自分の生を「重い」と感じ取れるいのちの強さ。
 しかも、この詩は「青春」の詩ではない。嵯峨の晩年の詩である。嵯峨のなかに残る「青春」が、この詩貫いている。



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詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
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