ここは何処なのか
遠いことはいいことだ
愛が 憎しみが 心だつて
なにもかもが遠くなる
「ここが何処なのか」わからないを「遠い」と言い直している。ただ「遠い」のではなく「遠いこと」。「遠いところ」ではなく「遠いこと」。
「どこかわからない場所」にも「わかるもの」はある。道とか家とか、あるいは扉、窓。しかし、それぞれの「もの」が抱え込んでいる「歴史(それまでに起きたこと)」がわからない。これが「遠いこと」なのだ。
そのとき「わかること」というのはなんだろうか。自分自身か。しかし、これもよく考えると「わからない」。「ここは何処なのか」は、すぐに「私はだれなのか」にかわる。そして、それは「何をしているか」(何をしたか)にかわる。
ああ 在りし日にぼくは何処を彷徨つていたのか
この最終行は「在りし日にぼくは何を彷徨っていたのか」ということになる。
*
詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
オンデマンドで販売しています。100ページ。1500円(送料250円)
『誤読』販売のページ
定価の下の「注文して製本する」のボタンを押すと購入の手続きが始まります。
私あてにメール(yachisyuso@gmail.com)でも受け付けています。(その場合は多少時間がかかります)