細田傳造「不幸」 | 詩はどこにあるか

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細田傳造「不幸」(「DONC」3、2020年02月15日発行)

 細田傳造「不幸」は、こうはじまる。

不幸だなあ
このとしで目がよく見えるということは
二百メートル先の堤防の角から
こっちへ歩いてくる娘っこの
唇が薄すぎるのが見える

 目が悪い私には、その不幸がうらやましい。でも、まあ、ふつうに考えて、そんな遠くの娘の唇の薄さが見えるとは考えられない。で、この「考えられない」ということが重要。「考えられない」けれど、それが「ありうる」ということは、ある。どうしてか。細田がその「娘」を知っているときである。遠くても、歩き方とか、全体の感じで「ああ、あの娘だ」と「わかる」ときがある。そして、それが「わかる」ということは細田が「娘」を知っているからだ。同じことを繰りかえしてしまったが、この「知っている」ことが「肉体」に跳ね返ってくる、ということが大事なのだ。「肉体」は何かを「覚えている」。それが「知っている」ということでもある。それが「よく見える」ということなのだ。
 この「知っている」(わかる)は、詩の後半でこう変わっていく。

この年で目がよく見えるということは
とても不幸だ
(略)
おまけに
鼻がよすぎるということは
ほとんどアウトだ
市谷に住んでいる孫の顔を見に行けない
五月のある夜の空襲に
牛込川田窪の所在の牛小屋に於いては
牛のきんたま総員丸焼けで
臭くって臭くって堪らなかった
アメリカ火喰(ひじき)の残臭を
このとしまで覚えていることは
とても不幸だ
ガスマスクをして
河田町の交番の前を通ったら
つかまるねぜったいに
不幸だなあ

 「覚えている」というよりも「忘れられない」である。「肉体」は体験したことを忘れられない。自転車に乗れる、泳げる。そういうひとは、長い間自転車に乗っていなくても、泳いでいなくても、いざとなったら自転車に乗れるし、泳げる。「肉体」とは、そういうものである。英語の単語を覚えるというのとは違う。
 そして、この「肉体」で「覚えたもの」(忘れられないもの)が人間をつくっていくのである。つまり、思想をつくる。ことばをつくる。
 最近読んだ川越宗一『熱源』は、ことばがすらすらと動く。つまずくことなく整然としている。だから、どんなに大事な「思想」を書いても、そこから「肉体」が見えてくることはない。そこには何が書かれていても、それは「頭の思想」でしかない。
 でも、細田のことばは違う。「牛のきんたま総員丸焼けで/臭くって臭くって堪らなかった」には、いわゆる「思想のことば」(ヨーロッパの現代思想のことば)など少しも含まれていないが、そういうもの拒絶して「肉体」の覚えていることをさらけだすことによって「思想」になっている。もう二度と、そういう匂いを嗅ぎたくない。この反応が「思想」だ。
 このあとが、しかし、おかしいね。
 「肉体」が覚えていることは「現実の街」にそのまま残っているわけではない。だから「ガスマスク」をしても、その匂いは細田を襲うはずだ。言い換えると、「ガスマスク」が効力を発揮するのは「肉体の外」にある匂い(物質)に対してであって、「肉体の内部」にあるものに対しては無効である。だから「ガスマスク」なんかつけて細田が歩くわけがない。それなのに「ガスマスクをして/河田町の交番の前を通ったら/つかまるねぜったいに」とあり得ないこと、つまり「嘘」を書く。ここに「文学」のおもしろさがある。
 「嘘」が、細田の覚えていること、「肉体の記憶」をより鮮やかにする。そして、存在しないものを存在させる。「いま/ここ」に牛の金玉が丸焼けになる悲惨さを出現させる。

 さらりと軽く書き流しているようで、非常に綿密に構築されたことばの運動だ。しかも、その構造の強さを感じさせない。じいさんの「無駄口」のような、なんというのか、「暮らし」(つかいこんだ肉体)だけを感じさせるところが、とてもいい。






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