嵯峨信之『小詩無辺』(1994)を読む(19) | 詩はどこにあるか

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エスキス

どの言葉も遮蔽されていて
そこを通りすぎる者を閉じこめる
ついに心も
石も

 この詩にはつづきがある。しかし、私は、ここで立ち止まる。「心も/石も」閉じこめられたものとして読む。
 閉じこめられた心(ことば)は石になる、と。

 さて、「そこ」とはどこか。無意識に嵯峨がつかみとっている「そこ」。そして、その「そこ」は「そこ」としか書かれていないのだが、たぶん、誰にでも共有される。だれでもことばが遮蔽され(つまり、ことばを聞いてもらえず)、こころを石のように固く閉ざしたことがあるからだろう。







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詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
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