北川朱実「川を見にいく」、長嶋南子「眠れない」 | 詩はどこにあるか

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北川朱実「川を見にいく」、長嶋南子「眠れない」(「zero」13、2019年11月14日発行)

 北川朱実「川を見にいく」。書き出しが魅力的だ。

降り出した雨が
体に届かない

水道の蛇口をゆるく締めて
川を見にいく

 北川は部屋の中にいるのだから、雨に濡れるはずがない。けれども、そのことに「違和感」をおぼえている。雨に濡れるためではないだろうが、雨を実感するために外へ出る。川を見にいく、とはそういうことだろう。
 その途中に

水道の蛇口をゆるく締めて

 ということばがある。なぜ「ゆるく」締めるのか。「ゆるく」とは、どの程度のことだろうか。私は水が静かに流れ落ちるくらいのゆるさを思った。雨の一筋のような。雨は水滴だから「一筋」というのは「比喩」でしかありえないが、その「一筋」というものへ向けて視線が動いていると感じた。
 「川」は「一筋」があつまって、どこからか流れてくる。

川べりに新しい病院が建った

熱でふくらんだ病室という病室が
逆さになって川面で遊んでいる

 「病院」「病室」に目が行ってしまうのは、北川が「病気」をかかえているからかもしれない。「事実」としての病気、「比喩」としての病気。
 北川と「病室」を結ぶ「一筋」のものがあるのだ。それは「川の流れ」を横切って(渡って)、北川と「病室」を結ぶ。
 「病室」に水道はあるだろうか。わからない。あるとすれば、そしてそこに北川がいるとすれば、やはり北川は「蛇口をゆるく締めて」川を見にくるだろうか。
 いま、雨は降っているのだろうか。



 長嶋南子「眠れない」。長嶋もまた「一筋」を書いている。

二階からあかりがもれている
食器をならべて
イスを引く音

笑い声が聞こえる
わたしと息子の声だ
二階には何年も誰も住んでいないはず

浮かない顔をしていた
そんな顔しないで遊びにいったら
と息子がいう
あれ 息子は家を出ていったはず

ここにいるわたしは誰なのか
わたしに息子はいたのか
真っ暗な部屋の中で耳をふさぐ
ひきだしの白い錠剤をさがす

という風景を見ているわたしがいる
その醒めた目つきが
にくらしい

 「一筋」は「いま」と「記憶」を結びつける。そこに「川」は流れているか。感情という川が流れている、という比喩はつまらない。感情とか意味というのは、誰にでもあるものなので(感情、意味をもっていないひとはいないので)、それを目立たせて「論理」にすれば、いつでも「批評」になってしまう。さらに自己を対象化する、メタ認識を言語化する、というような「批評の論理」も、どこまでもコピー&ペーストしていくことができる。
 だから違うことを書く。
 私は最終行で、あっ、と思った。引用するために文字をキーボードで打っているとき、長嶋は、こうだったかな、ふと思った。
 「にくらしい」でいいのか、「にくたらしい」ではないのか。
 私の勝手な思い込み(誤読)だが、長嶋には「にくたらしい」ということばの方が似合っていると、私は思ったのだ。いや、長嶋には「にくたらしい」ということばを言わせたいと、私は願っているのだ。それを裏切るように「にくらしい」。
 「にくらしい」と「にくたらしい」はどこが違うのか。
 正確な違いはわからないが、私は「にくたらしい」の方が「にくらしい」よりも気持ちが強いと思う。「にくらしい」では言いきれないものがあるとき「にくたらしい」ということばが出てくる。「にくらしい」には、ちょっとかわいらしいというか、甘えたような、こびたような感じもある。「にくらしい」と言うことで、あいてに気持ちを受け止めてもらいたい。「にくたらしい」というときは、きっとそういうものがない。
 私はいままで、長嶋を、自分の感情や意味なんか、他人に受け止められなくてもかまわない(受け入れられなくてもかまわない)と思っている人だと、勝手に想像していた。だから「にくらしい」ということばに出会ったとき、はっとしてしまったのだ。
 甘えたいとまではいわないが、甘えられたらどんなに楽だろうなあ、と感じている「さびしさ」のようなものが、最後の一行にある。
 長嶋は、ずーっとそういうものを書いていたのかもしれないけれど、私は、この詩で突然それを感じた。






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