嵯峨信之『OB抒情歌』(1988)(31) | 詩はどこにあるか

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                         2019年11月29日(金曜日)

* (わたしは水を通わせようとおもう)

愛する女の方へひとすじの流れをつくつて
多くのひとの心のそばを通らせながら

 「愛する女」と「多くのひとの心」の対比がおもしろい。「多くのひとの心」と「愛する女の心」は違うのだ。もちろん、それは当然のことなのだが、わざわざ「多くのひと」と書いているところが興味深い。
 このあと「多くの人」は「針鰻」「蛙」「翡翠」という生き物の比喩となり、「蝉の啼いている水源地」へと変化していく。
 奇妙といえば奇妙だが、生き物がいる自然が嵯峨にとっての「ふるさと」なのだ。






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詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
オンデマンドで販売しています。100ページ。1500円(送料250円)
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