「ことばがあって、同時に、ことばがさししめすものがあるとき、ことばは知性と感性に引き裂かれている、というのはどういう意味ですか?」と本棚の陰に隠れていた少年が、顔を上げて聞いた。ことばがうつむいた瞬間、目が合うのを待っていたかのようだった。路面電車のパンタグラフが電線にこすれて焦げた音を発するのが聞こえた。ことばは、どこかから剽窃してきたことばなのか、本を読みすぎたために文脈が乱れたために動き出したことばなのか考えたとき、遅れてきた顔をしたことばが、こう言った。「ものには知性で処理する部分と完成で処理する部分があるということです。五冊の本がある。本の形、色は感性でとらえることができる。でもそれを五冊だと判断するのは知性です。」その答えは少年を満足させなかった。軽蔑しながら笑った。「理性が働き続けるとき、そこには形の定まらないものしかない。言い換えると結論が生み出されるまでの間、そこには感性で処理できるものは何もない、ということを知らないんですか」