嵯峨信之『OB抒情歌』(1988)(26) | 詩はどこにあるか

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* (どこにぼくの星々はあるか)

自由な会話がはじまるといつかあなたの心に星はのぼり

 と詩はつづく。この比喩は美しいが、あまりにも比喩的でありすぎる。
 二連目で、ことばは調子を変える。

村々ではどこもかしこも小庭で火をたいていて
穏やかな追憶の日がもう暮れかける

 その空に星は姿を現わす、ということだろう。
 「村々」を直接目で見るのは難しい。だから、この行自体が「追憶」である。想像である。「自由な会話」の一行も、その「追憶」のひとつである。
 「星はのぼり」の「のぼる」という動詞が興味深い。星から見た村々ということなのだろう。






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詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
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