2019年11月24日(日曜日)
生きるとは自由であること。
自由とは、自由に語ること。自由に思考すること。生きるとは、思考を存在させること。
「名詞」としての「思想」ではなく、「動詞」としての「思想」を確立すること。「思想」を「動詞」の形で存在させること、つまり「動かす」こと。
ふつうに日々つかっていることばでは、いろいろなことを明確にするのはむずかしい。「定義」が揺れる。流動的で、あいまいに見える。何も「知らない」ように見える。
しかし、「何も知らない」まま、ひとは生きられないだろう。「知っている」ことを信じて生きているはずだ。
だれもが「思想」をもって、「思想」を生きている。
それを「動詞」として書くことはできないか。ことばにできないか。
逆のことを考える。
明確に定義されたことばがある。たとえば外国の、現代思想のことば。そういうことばはすでに固定された意味をもっている。固定されているので「事実」のように見える。そういうことばをつかうと、何かを「知っている」とみなされる。
「知っている」(知識)は重要だが、知識よりも「考える」ということの方が重要だろう。
間違っていてもいいから、考える。
「知っている」ことではなく、考えたことを書く。