長い橋をつくつた
いつたいその橋はどこへ架かつているのだろう
この橋をつくる、橋を架けるとき、嵯峨は「対岸」がどのような場所か知らない。橋はここ(此岸)ではないどこか(彼岸)へとつながる。
だから、詩は、必然的に、こう展開する。
その橋は女の方へむかつて架かつているだろう
すでにその女が死んでいたら
それでもぼくはその橋を渡つていくだろう
橋を架けるは、橋を渡るという「動詞」を動かすために、絶対に必要なものだ。この絶対的な必要性を、切実さと呼ぶ。
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詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
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