池澤夏樹のカヴァフィス(108) | 詩はどこにあるか

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108 ユリアヌスが軽蔑について


「さて、鑑みるに、我らの間には神々への軽侮の念がある」
と彼はもったいぶった口調で言う。
軽侮? しかし彼は何を期待していたのだろう?


 書き出しの三行である。タイトルを参考にすると、ユリアヌスが「さて、鑑みるに、我らの間には神々への侮蔑の念がある」と言ったということだろうか。このときの「言う」は、単に言うというより「指摘した」ということか。その指摘は、何のための指摘? それこそ「何を期待して」そう言ったのだろうか。

 池澤は、こういうことを書いている。


 ユリアヌスは四世紀のローマの皇帝。すでにキリスト教を国教としていたローマ帝国で、ネオプラトニズムに基づくギリシャ風の多神教へ回帰しようとした。そのために「背教者ユリアヌス」と呼ばれる。


 多神教(神々)を「軽侮」するのは、よくない。尊敬すべきだ。池澤が書いているように「多神教に回帰する」ことを期待したのか。
 後半部分。ユリアヌスは、多くの「友人」に書簡を送った。


それらの友人たちはキリスト教徒ではない。
そこは間違いのないこと。それでも彼らは、
(キリスト教徒として育った)ユリアヌス自身のようには、
理論においても具体的にも滑稽な代物にすぎない
宗教組織を相手には遊べない。


 何度読んでも、わからない。
 わからないけれど、(キリスト教徒として育った)が括弧でくくられていることが気になる。なぜ括弧にいれたのか。補足? 補足というよりも、補足を装った「強調」かもしれない。ユ「リアヌスはキリスト教徒として育った」を強調したい。多神教(ギリシャ)とは無関係だ、と言いたいのか。



 


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