6 触覚を分類する | 詩はどこにあるか

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6 触覚を分類する

           さわる
           木目の汁にさわる
           女のはるかな曲線にさわる。   ――大岡信

   1
 特徴a/視覚よりも支配力が強い。
 証明a/木目にさわってみるといい。みずみずしい罠にふれることができる。人間にひそむ水分をひきこもうとする誘い水が、ぎりぎりのところまでやってきている。ふれてしまえばおしまいだ。きみの水分を吸って、木は一気に生長する。触覚をさかのぼって枝を広げ、感覚のすみずみに葉を繁らせる。木目など見えなくなる。目を凝らせば、しっとりぬれた肌がある。やわらかい光がにじんでいる、と言ってみたところで遅い。「しっとり」とか「やわらかい」とか、触覚に根ざしたことばが侵入してきているではないか。
 対策a/対象には道具を使って接すること。つまり、自己と対象を分離し、対象のありようを両者の距離内の変化で再現すること。たとえば髪と鉛筆を用意し、木目の凹凸を図として明るみに出すこと。
 蛇足a/気にさわると言われたら、他者と自己を区別する道具を捨てること。

   2
 特徴b/説得力がある。
 証明b/女にさわってみるといい。輪郭のはてしなさを知るだろう。はてしなさとは形ではなく、掌によってひきだされ、触覚の内部にしのびこんだ曲線の属性である。分離、独立させられないものである。きみにもきっとあるはずだ。逃げていく一方で反撃を仕掛けてくる肌から掌をはなせば、陰影のない絵画的曲線にかえってしまうかもしれないと、だらしない絶望におそわれたことが。神経をあまくする力に負け、女からのがれられなくなったことが。
 対策b/なし。
 蛇足b/気がふれているという批判に敏感になってはいけない。他者とふれあうことで姿をあらわしたものに向かって、はてしなく自己解体を試みる生もあるのだから。










(アルメ232 、1985年03月25日)