池澤夏樹のカヴァフィス(87) | 詩はどこにあるか

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87 ヘブライの民の

 ギリシャの官能の美にとりつかれた美貌の青年が「聖なるへブライの民の息子に戻る」ことを誓う。


まことに熱烈なる彼の宣言。《永遠にとどまらん
ヘブライの、聖なるヘブライの民の--》

しかし彼は全然とどまりはしなかった。
アレクサンドリアの快楽主義と技術の
忠実な息子で彼はあったのだ。


 池澤が訳している「技術」とはなんのことだろうか。このまま読むと「快楽の技術」という感じがするが、そういうときは「技術」かなあ。「技巧」かなあ。それとも、また別の意味なのだろうか。
 ヘブライの青年なのだが、


ヘブライの、聖なるヘブライの民の--》


 この一行の、「ヘブライ」の繰り返しは、いかにもカヴァフィスらしい感じがする。繰り返しの音、響きが官能をくすぐる。

 池澤の註釈。


誘惑と抵抗の問題はしばしばカヴァフィスの作品にあらわれるが、このような諧謔味を含む詩は珍しい。


 アレクサンドリア(ヘレニズム)の快楽主義を逃れることはできない、と指摘することが「諧謔」なのかどうか、私にはわからない。
 むしろ「誇り」と思って、私は読んだ。

 また池澤の註釈に、こういう文章がある。


 紀元五〇年という年号はクラウディウス帝の治世にアレクサンドリアで起こった反ユダヤ暴動のすぐ後を示している。


 詩のなかには「アレクサンドリア」と「ヘブライ」ということばしかない。「紀元五〇年」という「時代」の特定は、何を意味しているのだろうか。



 


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