高田昭子『胴吹き桜』 | 詩はどこにあるか

詩はどこにあるか

詩の感想・批評や映画の感想、美術の感想、政治問題などを思いつくままに書いています。

 高田昭子『胴吹き桜ら』は父親のことを書いた作品が多い。「ててっぽっぽう」は長瀬清子の詩をとおして父と対話している。
 ある日、父が無花果を食べていると、庭の無花果の木から「ててっぽっぽう」と声がする。はじめて、「ててっぽっぽう」と聞こえて、長瀬とつながったと父に告げる。


父は「そうか」と言って
黙って無花果を食べていた
しばらくしてから
「古里では、ででっぽうと言っていたな。」と言った


 私はこの部分がとても好きだ。
 理由はふたつ。ひとつは、私も「ででっぽう」の方になじみがある。「ててっぽっぽう」には野生のぬくみがない。気取った声だ。もうひとつは、


しばらくしてから


 この一行が、「肉体」を感じさせる。
 人にはそれぞれ声を発するときのタイミングというか、リズムというものがある。癖のようなものだ。このとき高田の父はいつもとは違うタイミングで「古里では」と語ったのだ。ほかの人には気付かない「しばらくしてから」の「間合い」を高田は書き留めている。
 そして、ことばにならなかった「しばらく」という「間合い」のなかへと入っていく。こう、ことばにする。


南から北へとのぼりながら
言葉は素朴な濁音をまとってゆくようだった
あの日から
父は北の古里ばかりを恋うていた


 ほんとうに高田の父が「北の古里ばかりを恋うていた」かどうか、その「証拠」のようなものは書かれていない。高田がそう思っただけかもしれない。だが、高田の思ったことにまちがいはないと納得させるのが「しばらくしてから」という「間合い」をつかみとる感覚にある。
 一緒に暮らしていて、はじめて身をゆさぶる「間合い」である。





*

「高橋睦郎『つい昨日のこと』を読む」を発行しました。314ページ。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168074804
↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑
ここをクリックして2500円(送料、別途注文部数によって変更になります)の表示の下の「製本のご注文はこちら」のボタンをクリックしてください。
なお、私あてに直接お申し込みいただければ、送料は私が負担します。ご連絡ください。



「詩はどこにあるか」2019年1月の詩の批評を一冊にまとめました。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168075286


オンデマンド形式です。一般書店では注文できません。
注文してから1週間程度でお手許にとどきます。



以下の本もオンデマンドで発売中です。

(1)詩集『誤読』100ページ。1500円(送料別)
嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で詩を書いています。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168072512

(2)評論『中井久夫訳「カヴァフィス全詩集」を読む』396ページ。2500円(送料別)
読売文学賞(翻訳)受賞の中井の訳の魅力を、全編にわたって紹介。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168073009

(3)評論『ことばと沈黙、沈黙と音楽』190ページ。2000円(送料別)
『聴くと聞こえる』についての批評をまとめたものです。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168073455

(4)評論『天皇の悲鳴』72ページ。1000円(送料別)
2016年の「象徴としての務め」メッセージにこめられた天皇の真意と、安倍政権の攻防を描く。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168072977





問い合わせ先 yachisyuso@gmail.com