ビョルン・ルンゲ監督「天才作家の妻 40 年目の真実」(★★) | 詩はどこにあるか

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ビョルン・ルンゲ監督「天才作家の妻 40 年目の真実」(★★)

監督 ビョルン・ルンゲ 出演 グレン・クローズ、ジョナサン・プライス、クリスチャン・スレイター

 グレン・クローズが好演しているという評判なので見に行ったのだが。
 確かに一生懸命演じてはいるのだが、映画の細部が甘すぎる。いちばんの欠点は、ノーベル賞を受賞した作家の作品がどんなものかぜんぜんわからないことだ。引用されるのはジョイスのことば。おいおい。そりゃあ、ないだろう。かわりに「批評」が語られる。しかし、その批評というのは、もうすっかり忘れてしまったが「新しい文体」とか「文学に革命をもたらした」とか、まあ、読まなくても言えるもの。具体的に、どの作品のどの部分が、ということが語られないと批評とは言えない。感想ですらない。
 つぎに問題なのが、天才作家の人間性の描き方があまりにもずさん。少なくとも大学教授をやっていて、自分で作品を書いたこともある人間が、妻の書いたものを自分の名前で発表して、それが評価されてうれしいということなんてあるのだろうか。後ろめたさを感じずに、受賞を喜べるものなのか。
 と書いたあとで、こういうことを書くのは変なのだけれど。
 これを「天才作家のノーベル賞受賞」と引き離して、夫婦の「日常」と思ってみると、このだめさ加減がたっぷりの夫というのは、なかなかうまく演じられている。夜中にベッドでチョコレートを食べ、「糖分をとると眠れなくなる」と注意されるシーンなんか、うまいなあ。こいつ、いつも家でそうしてるんじゃないのか、と思わせる。とても損な役どころで、こんな役をよく引き受けたなあと思ってしまうのだが、ほんとうにいいだらしがない。グレン・クローズがいなければ、ジョナサン・プライスは何もできない。髭についた食べ物のカスさえぬぐい取れない。グレン・クローズが、「ついている」とジェスチャーでしめさないといけない。この、間抜けぶりを、とても自然にやっている。とても天才作家には見えない、という感じをそのまま出している。
 グレン・クローズの演技は、ある意味ではジョナサン・プライスの演技があったから、際立って見える。上っ面でしかない男、それと対照的な女の内面の葛藤。グレン・クローズはジョナサン・プライスにかわってことばを書いたのではなく、精神というものを演じたのだ。
 でもねえ。
 その精神が、やっぱり「小説のことば」として再現されないと(引用されないと)、映画としては弱いなあ。だれそれとの浮気のことを書いたとかなんとかとか、それはストーリーであって「文体」ではないからね。
 この映画は、そいう意味では、「幻の小説」同様ストーリーを描いているだけで、人間を描いていない。描いているふりをしているだけ。
 唯一、これはいいシーンだなあ思ったのが。
 若いときのグレン・クローズが、女性作家の講演を聴く。その作家が若いグレン・クローズに向かって、大学の図書館の本を手渡す。大学出身の作家の本だ。本を開くと、パリッと音がする。誰も開いたことがない。ただ陳列されているだけだ。女流作家の本は、そういう運命にある、と語るシーン。本がきちんと演技している。そして、それがそのままストーリーを支えている。
 この本のような演技を役者はしないといけない。はじめて発する悲鳴が、聴く人の胸に響くような、一瞬なのに、決して忘れることができない「事実」を噴出させるような演技を。
 (2019年01月27日、T-JOY博多スクリーン11)