山本純子『きつねうどんをたべるとき』 | 詩はどこにあるか

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山本純子『きつねうどんをたべるとき』(ふらんす堂、2018年10月08日発行)

 山本純子『きつねうどんをたべるとき』に「いいことがあったとき」という楽しい詩がある。その感想はすでに書いたことがある(と思う)ので、違うことを書く。
 今回の詩集を読みながら、「長いなあ」と感じた。
 たとえば「あのひと」。


あのひと
こどものころ
たべてたんじゃない
あのビスケット

ヒツジとか
ラクダとか
いろいろ あったでしょ

ライオンたべるとき
えいっ って
わざと はをたてなかった?

あのひと きっと
こどものころ
ナマケモノばっかり
えらんで たべてたのよ

という
あのひと とは
わたしのことです


 三連目、ライオンを食べる描写が楽しい。だから、詩はここでおわってもいいんじゃないかなあ、と私は思う。
 そのあとナマケモノが出てくる。あ、そうか。ライオンを食べるとき、「えいっ」という気持ちで食べるのを見ながら、ナマケモノの気持ちでそれを見ていたのか。
 ここで終わるのも、それなりにおもしろいなあ。
 ところが、詩はさらにつづいていく。


たしかに わたしは
砂漠で荷を負う
ラクダより
密林の樹に
ぶらさがっている
ナマケモノの方が好きです

ただ
あのビスケットに
ナマケモノは入っていませんでした

入っていなかった
ナマケモノを
ずっと口の中で
かまずに なめていると
あのころも 今も
知らないうちに
日が暮れているのです


 きちんと「結末」が語られる。「ずっと口の中で/かまずに なめていると」はライオンを食べたときのこと思い出させて、詩の「きまり」をまもっている。「ずっと」という副詞がとても効果的だと思う。
 でも、「理屈」になってしまっているなあ、と感じる。
 最後の「余韻」のつくり方に感動する人もいると思うけれど、私は「定型」だなあ、と感じてしまう。
 「とびばこよりも」という詩を引用する。


とびばこ
よりも
馬とびがすき

だれか
馬とびしませんか

さきに
馬になってくれたら
わたしが
つぎに馬になります

じゃあ もうすこし
ひくくなってね
と いろんなひとに
こえかけて

とびつとばれつ
とびつとばれつ
とんでいったら
もう
そつぎょうのひに
なりました


 この詩、私が好きなのは、どこだと思いますか? ここで終わればいいのに、と途中で思ったと思いますか? それとも、この詩はここで終わり? オチ(つづき)はないの? どう思います?

 でも、まあ、山本は気づいているのかもしれない。「きつねうどんをたべるとき」。


きつねうどんをたべるとき
きつねのことをかんがえる
たぬきとばけくらべをして
けっきょくどうなったのか
はなしのとちゅうでいつも
ねむってしまってしらない

きつねうどんをたべるとき
きつねがまんまとかったか
きくためにおばあちゃんと
ふとんにはいるところから
やってみなくちゃとどうも
ねぎがはにはさまるのです


 この詩の終わりに書いてあるが、どうも「ねぎがはにはさまった」感じがしてしまう。この「違和感」が「肉体」を感じさせておもしろいといえばおもしろいが、さて、私はきつねうどんを食べたかったのかなあ(きつねうどんううまかったのかなあ)、それともきつねうどんを食べたときに感じる別なことを実感したかったのかなあ、と少し立ち止まってしまう。立ち止まることが「現代詩」だとしても、自然に生まれた詩ではなく、作られた詩かもしれないなあ、と疑問にも思うのである。
 この作品の二行目に「かんがえる」という動詞が出てくる。「考える」ことで持続する詩、「考え」が答えに達するまでつづく詩なんだなあ。「つづく」から「長く」感じるのだと思う。
 私は、以前の「声が響く」詩の方が好きだなあ。










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