高橋睦郎『つい昨日のこと』(30) | 詩はどこにあるか

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30 眠りの後に

 午後のある時間。人間だけではなくすべてが眠っている。


道も 樹樹も その影も それらの上の雲一つない青空も


 そう書いた後、


開け放した窓から 部屋の中の闇の部分を窺う
羽沓を穿き 羽杖を手にした 不吉な横顔の若い神


 ということばがつづく。「若い神」は死神。そういうことは知らずに、眠り足りた人は、涼しい風と光の中へ歩み始める。


眠った分だけ死に近くなった自分に 気づかずに


 光と影(闇)、生と死が交錯する。「開ける」と「閉ざす(隠す)」も交錯する。「閉ざす(隠す)」は書かれていないが、「窺う」は「隠しているもの見る」ということ。
 その動きを「道も 樹樹も その影も それらの上の雲一つない青空も」という一行が巧みに誘い出している。午後の光の中の風景をとらえる視線が、地上と空を結ぶように自然に上下する。
 「雲一つない青空」は美しいが、美しすぎて不自然。不吉でもある。それが死神の美しさを引き出す。
 しかし、この相互の結びつきは、あまりにも人工的すぎる。「理屈」になってしまっている。
 「眠った分だけ死に近くなった」と高橋は書いているが、時間が過ぎたというのであれば、遊んでいても、仕事をしていても同じである。死神の夢を見ていたとしても同じである。


道も 樹樹も その影も それらの上の雲一つない青空も


 は「現実」のことば、「事実」。だが、ほかは「思考」がひっぱりだしたことばである。「不吉な横顔」という夢さえ生々しくないのは、思考が優先しているからだ。