嵯峨信之『土地の名-人間の名』(1986)を読む(1) | 詩はどこにあるか

詩はどこにあるか

詩の感想・批評や映画の感想、美術の感想、政治問題などを思いつくままに書いています。

                         2018年08月06日(月曜日)

(不幸よ)

不幸よ
わが偉大な休息の島
その空を飛んでいる一羽の信天翁よ

 「不幸」「島」「信天翁」は、「ひとつ」のものである。どのことばがどのことばの「比喩」なのか、特定はできない。相互に呼び合っている。
 「動詞」を探してみる。
 「休息の島」には「休息する」という動詞が隠れている。
 この「休息する」と「飛んでいる」が向き合う。そこには矛盾がある。この矛盾は、島(海)と空という対比と結びつく。

 そうであるなら。

 「不幸」は書かれていない「幸福」と呼び合っているはずだ。矛盾が呼び掛け合って世界をつくっているがこの詩だからだ。
 この詩は、だから

幸福よ
わが偉大な休息の島
その空を飛んでいる一羽の信天翁よ

 と読み替えることができる。
 実際、「不幸よ」ということばで始まる詩を読んでも、何が不幸なのかわからない。「ゆったりと休息する」こと人間の喜びだ。そのときこころは空を信天翁のようにゆっくりと飛んでいる。
 まばゆい光。透明な空気。

 矛盾で語る「不幸」、詩は「矛盾」でできている。




*

詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
オンデマンドで販売しています。100ページ。1500円(送料250円)
『誤読』販売のページ
定価の下の「注文して製本する」のボタンを押すと購入の手続きが始まります。
私あてにメールでも受け付けています。(その場合は多少時間がかかります)