やまもとあつこ「ハミングクイズ」(「ガーネット」85、2018年07月01日発行)
やまもとあつこ「ハミングクイズ」は認知症(たぶん)の母親の介護をしているときの詩である。ほとんど声を出さない。ことばにならないのかもしれない。ときどきハミングをする。曲をつきとめ、歌うと、母親がそれにあわせて歌い始める。そういう暮らしをしている。歌うことが一種のリハビリになっている。だから真剣だ。曲をあてて歌いださないと、母親はどんどんことばをなくしてしまう。
風呂上がり
母のハミングがはじまった
m……
今日はすぐにわかった
「仰げば尊し」
わたしが言葉をつけて歌い出すと
母のハミングも歌にかわる
教えの庭にも はや幾年
思えばいと疾し この年月
ここから わたしは 歌えない
いまこそ わかれめ
いざ さらば
母は 最後まで 歌った
「仰げば尊し」の「わかれめ」は「わかれ」であっても出発である。その別れには再会がある。
でも、ことばというのはそんなに単純ではない。「意味」は、いろんなところから噴き出してくる。
やまもとにとって「別れ」は再会につながらない。
歌おうとして、ふっと、声が止まったのだ。
ということなのだが。
うーん。
私は鈍感な人間なので、言ってしまってから「あっ、しまった」と思うことがあるが、ことばを発する前に「言ってはいけない」と自制することがない。だから、この詩の展開にとても驚いた。
そうなのか。
介護というのは、直面している困難さを、そのときそのとき手助けするだけではないのだ。常に先取りしてそなえることが重要なのだ。
やまもとは常に母の思い(ことば)を先取りする形で身構えて生きている。
その習慣が歌っている瞬間にも出てきた。
何と言えばいいのかわからないが。
「介護」の実情、介護の実体というものに、圧倒された。介護は、予測、「先取り」によって、なりたっている。しかし、予測はいつでも「いい」ものだけを教えてくれるではない。どうすることもできないことを予測の中に含まれる。
やまもとの語らなかったことばが、私の肉体の中で動く。ことばは、語られなくても肉体に入ってくる。肉体を支配する。同じことばを持ってしまう。この「共犯」感覚が詩なのだと思う。
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