岡本啓『グラフィティ』 | 詩はどこにあるか

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岡本啓『グラフィティ』(思潮社、2014年11月25日発行)

 岡本啓『グラフィティ』を読みながら、映画を見ている気持ちになった。あるいはアメリカ文学の翻訳を読んでいるような。
 描写(視線の動き方、ことばの切り取り方)が日本語の「なじみ」から少し逸脱している。
 タイトルのない巻頭の詩。

肩のあまったシャツ
もたれかけた指をはなすと
頬にニュースのかたい光があたった
あっおれだ、いま
映った、いちばん手前だ ほらあいつ、ほら
いまレンガを投げつける

 端正な映像(描写/カメラ)の3行のあと、説明を省略して口語(声/会話)が動く。そのリズムのなかに話者の「肉体」がある。「肉体」が履歴をもっていて、それを直接「肉体(耳)にぶつけてくる。
 こういう肉体表現を豊原清明も映画のシナリオで書いている。(たぶん岡本は知らないだろう。)映画の「文法」に親しんでいるのかもしれない。

きみは興奮しながらスープの豆を口に運ぶ
母親がひたしたスープ
煙がくるなか、担架を 肌のちがう二人が持ちあげて
走りさる

 「煙がくる」の「くる」という動詞は書かれてしまうとそのまま読んでしまうが、なかなか自分で書くのはむずかしい。対象の見方が日本語からは離れている。日本語では「火がくる」「水がくる」というような人間の手には負えないものは「くる」かもしれないが、煙は火に付随するもので主語として「くる」というのは、なかなかむずかしい。「主語」になりにくい。主語になるときは「襲ってくる」とか「這ってくる」とか、複合動詞の形になるかもしれない。「くる」のような単純な動詞の主語になるには存在感が薄い。
 で、あ、これは「翻訳」の文体、と私は思ってしまったのだが。

 こういう新鮮な感覚が随所にある。

掃除機がなっている
礼拝堂のなか
つるつるした木の背もたれ、お尻のところ
どの椅子も
そこだけニスが剥げている
きっと月曜は毎週そうしてきたんだ
Tシャツごしに
せなかの死亡をゆらすかれは
こちらを気にとめない                     (「椅子」)

 これも、映画。礼拝堂の内部が全景(遠景)でとらえられ、そこに掃除機の音(ノイズ/雑音)がある。礼拝堂の静けさと矛盾したノイズが、映像に活気を与える。カメラは全景から椅子へと動いていく。焦点がしぼられていく。眼(視線)が「つるつる」を通って触覚を刺戟する。それが「お尻」という「肉体」のボリュームへ動いていく。そういう径路を通って、再び「そこだけニスが剥げている」と視覚へ戻ってくる。
 そして、「きっと月曜は毎週そうしてきたんだ」と転調する。自分のこころの「声」を聞く。「声」をことばにする。
 映像と「声」の組み合わせ方が映画文法(アメリカ映画文法)にとても似ている。

あの日は それからつれだって
ワシントン・モニュメントのほうまで演説をみにいった
めのまえ
蚊がおんなの黒い肩にとまって
おぼえてる
すっぱかった すごいひとで
おれは息があがってた                   (「8.28.1963 」)

 岡本の実際の体験を描いているのかどうか、わからない。タイトルとなっている「日付(?)」からすると体験ではないのかもしれないが。
 群衆を「めのまえ/蚊がおんなの黒い肩にとまって」といきなりアップの映像でつかみとるところが映画的だ。それから「おぼえてる」と「声」を重ね、「すっぱかった」と視覚を別の感覚(味覚? 嗅覚?)に切り換えて、肉体で「人間」をつかみとる瞬間の文体の短さ、文体の速さがアメリカ文学のようで、新鮮だ。
 ほかにもこういう文体で書く詩人がいるかもしれないが、私は、最近、読んでいない。とても新鮮で、明るい気持ちになる。
 詩の内容(意味)は明るくないのかもしれないけれど、文体の強靱さが、読んでいて気持ちがいい。
 一方で、

シモバシラ
ちいさな地球のおと
一晩かけてゆっくり地面をもちあげた
そのちからに触れたくて
おもわず掘りおこす
やわらかなひかりを反射する
つめたいかけら                      (「グラフィティ」)

 という日本の古典文学のような繊細なことばもある。漢字とひらがなのバランスを考えながらことばをていねいに動かしている。

排水溝へとつづく砂のながれも
みずをほしがってた                    (「ペットボトル」)

 という美しい二行もいいなあ。

 でも、詩が長くなるにつれて、映像と声の交錯が、モノローグになってしまっているような感じがする。それが岡本の本質なのかもしれないけれど、私は前半の映画そのものをアメリカ文学の文体で再現した感じの詩が好きだなあ。

グラフィティ
岡本啓
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