
どうしてもフェリーニの「甘い生活」を思い出してしまう。畸型(と言っていいのかどうかわからないが、巨大に太った女、小人の女)や、ふつうはありえない場所での目立つ動物(雪の中の孔雀や廃墟の中のキリン)の影像。世界をサーカス(あるいはカーニバル)として見る視線が共通するからだろう。ただし、「グレート・ビューティー 追憶のローマ」の方が倦怠感が強い。それだけ時代が経過しているということか。フェリーニのころは、まだ倦怠も新しかったということか。
それにしてもローマには倦怠が似合うなあ。ローマ帝国というのは、いまも生きているという感じがする。あまりにも偉大すぎる。もう、ローマにはすることがない。
ということが、かつて偉大な小説「人間装置」を書いた主人公の姿と重なる。彼自身が偉大な遺産にあえいでいる。食いつくそうにも(食いつぶそうにも)、なぜか、食いつくせない。小説一作で、主人公のような生活ができるのかどうか、日本では不可能だろうけれど、ローマなら可能なのかもしれない。まわりの貴族(大金持ち)が主人公のパトロンになるからだ。貴族は金を使うことしかすることがないから、主人公にも金を注ぐ。つまり、それなりの仕事を与える。具体的にはジャーナリストの仕事を与える出版社が描かれているだけだが、主人公とまわりの人間の描写を見ていると、ほかにもそういうパトロンがいるのだろうという匂いが伝わってくる。一方で、金を失った落ちぶれていく貴族もいるが、主人公のまわりは、つかってもつかっても使い切れない金に飽き飽きしている。その浪費に、主人公はまきこまれて、やっぱりうんざりしている。
まあ、こういうことは、どうでもいいな。
この映画は、影像がともかく美しい。そしてその美しさは、カメラの視点で美しく見せる美しさではない。カメラは演技をしていない。--というと、カメラ(撮影者)に叱られそうだが、ローマという存在そのものが美しいのだ。どうとっても美しくしか撮れない。--というようなことはないのだが、そう感じさせるくらいに美しい。そこが、すばらしい。そこにある遺跡、建物、都会のすべてが、どのようにして美になってきたかを知っていて、その「時間」に共鳴するようにカメラを動かしている。「ローマ(都市)」の「時間」が演技するのを、カメラはそのまま「時間」の演技に任せている。
冒頭に日本人の観光客が出てくるが(どう見ても中国人だが)、その観光客がカメラを持っている。その観光客が写した写真と比較してみるといい。映画には出て来ないから、自分がローマに行ったときに撮った写真と見比べてみるといい。明らかに違うはずだ。
あるいは、自分の記憶にあるローマと比較してみるとわかるはずだ。明らかに違うはずだ。
日本からローマへ行ってローマの写真を撮ると、それはローマの「表面」しか映らない。「歴史(時間)」が映らない。ローマ帝国の時代から同じ建物を見つづけた人間の「視力」にはかなわない。ローマ人は、「時間」を見ている。時間を潜り抜けてきて存在するものを見ている。
あ、これでは抽象的すぎるか。
映画に即して言えば、主人公は、現実を生きながら「過去」をときどき思い出す。過去の「時間」を見る。たとえば、こどもたちが庭で鬼ごっこをする。そこに主人公は自分がこどもだったときの姿を見ているのだが、それは説明されない。主人公にとって、そしてローマ人にとって、現実を見ながら「過去」の「時間」を見るというのは、あたりまえのことなのだ。主人公が遊び回った庭が、いま、こどもたちが遊び回った庭である。その庭は「同じもの」ではないが、遊び回るこどもを受け入れる(こどもを遊ばせる)という「時間」のなかで「ひとつ」になる。主人公は、いまのこどもだけではなく、また自分のこども時代の姿だけではなく、もっと昔のこども(こどもという永遠)をそのまま見ている。
こういうことのハイライトは、主人公がキャリアウーマン風の女と口論するシーンに象徴的に描かれている。女は、「母親と女の両方をこなしてきた」と自慢するが、主人公は女の「正体」をあばいて見せる。それは主人公が実際に見聞きした女の正体であるというよりも、永遠に変わらない「既成事実」としての正体なのである。言いかえると、主人公はその女の「過去」を知っているのではなく、いま目の前にいるような女になるためにはどういう「過去」が「ある」かを知っている。どういう「過去」が女をこんな女に作り上げるかを、「歴史(時間)」として知っている。それは主人公だけではなく、その場にいたすべての人間が知っている。知らないのは、「自分は特別である」と錯覚している女だけである。
「時間」が「人間」をつくる。「時間」が「人間」を美しくする。その「時間」というものを主人公は知っている。この映画は知っている。
そして、この倦怠に満ちた映画を、倦怠だけに終わらせていないのは、主人公の「過去の特別な時間」である。これは映画のオチのようなものであって、あまりおもしろくないのだが……。彼には忘れられない恋がある。実らなかった恋が、主人公を絶対的な倦怠からすくっている。主人公が天井に見る青い海がその象徴だが、これが非常に美しい。(ここから書きはじめると、また別の感想になるのだが、今回は書かずにおいておくことにする。)
(2014年09月17日、KBCシネマ2)