伊東光晴『アベノミクス批判 四本の矢を折る』はタイトル通りの本である。
安倍の経済政策がどんなふうに間違っているかということを、数値やさまざまな分析(伊東以外の人の分析を含む)を整理して、とてもわかりやすく書いている。経済政策だけではなく、外交、さらには本人の「資質」そのものをも批判している。
その文章のなかに、経済だけではなく、ことばの問題(人間の生き方の問題)がすばやく差し挟まれているところがあり、それが「知識(頭)」をととのえてくれると同時に、なにか、「肉体」になじむ。「そのとおり」と言いたくなる。私は伊東の文章が大好きだが、それは鋭い分析と同時に、人間の生き方を感じさせるものがあるからだ。
たとえば、「労働政策」を批判した文章。「非正規雇用」について触れた部分。
怒りをおぼえるのは、社会が多様化し”多様な生き方を求める”時代になったと言い、そのことが非正規に働く人がふえている原因だと言う厚生労働省の人がいることである。( 107ページ)
ものの見方、社会のとらえ方はさまざまである。しかし、それは最初から「さまざま」ではない。どんな「言い方」をするかで「さまざま」が違ってくる。
たとえば非正規雇用労働者がふえているのは、賃金を安く抑え経営負担を軽くするためであるという「言い方」ができる。一方、そういう経営者の狙いを隠して、逆に「会社に勤務時間をしばられて働くことよりも、時には残業をしなければならないというような仕事を嫌い、自分で労働する時間をフレキシブルに決定して自由時間を活用することを好む若者が増えているからだ」ということもできる。
「言う」(ことばにすること)で、社会の見え方が違ってくる。
こういうことを伊東は「厚生労働省の人」が「言っている(本文は「言う」)」と書くことで明確にしている。これはとても大事なことだ。ひとは、ことばによって、なにかを隠す。「意味」をつたえるとともに、なにかを隠す。
それが問題だ。
ここでは伊東は「怒りをおぼえるのは」と感情を率直に語っているが、この「怒り」が随所に見える。伊東は「怒り」ながら、「アベノミクス」が、その「美しいことば」で何を隠しているかを具体的に、つまり事実を指摘するだけではなく、同時に、「ことばの問題(どんなふうに嘘をついているか)」としても取り上げている。正しいことばの動き方とはどうあるべきか、という問題を取り上げている。
昔のことばで言えば「道」の問題である。「どの道」を歩くか。どう歩くか。
そこが重要である。
先の「非正規雇用」についての文章の前には、次の文章もある。人が、何を、どう言うか(何を隠し、何を伝えるか)の具体例である。「道」の具体例である。
ある地方の話である。経済団体の会合で、東京から招かれた経済同友会系の実業家が講演し、派遣社員を活用したことにより、不況での対応が可能になった等の話をし、別の経営者が、学校に申し込んで新卒者をとるのではなく、いったん派遣会社を通じて大学卒を雇うことの利点を述べたという。そこにいた公立大学の学長が、たまらず発言を求めた。こうしたことが、新卒者の地位を下げ、若年者の非正規雇用の比率を高めているのである。( 106ページ)
実業家は「非正規雇用」を活用し人件費を抑えることができたと語り、別の経営者は「非正規雇用」を推進する方法を披露している。大学に求人情報を出すのではなく、派遣会社に求人情報を出す。「正規雇用」を最初から除外するのである。
こういう「事実」(ことばの操作、情報の操作)を、大学の新卒者はどれだけ知っているだろうか。知らされているだろうか。
情報はいつでも「公開」されると同時に「隠される(操作される)」ものなのだ。
「ことば」とは「考え方(思想/生き方)」の問題でもある。「安倍政権が狙うもの」という章のなかでは、次のように書く。
安倍内閣はグローバル時代に即した人材をつくるための教育振興を推し進めるという。国際化のための教育は英語の重視だけではない。何をどのように考える人間なのか、それが最も重要であり、領土教育で互いに口論し殴り合う若者をつくるのが国際化に即する教育であるはずがない。( 125ページ)
「何をどのように考える人間なのか」。これは、そのままこの本(伊東)の姿勢でもある。安倍政策の何をどのように考えるか。それは「知識」ではない。ことばを動かし、確かめることである。「道」であり、「実践」である。
--と、ここまで書いてきて、私は、なぜ伊東の文章が好きなのか、わかった。「どのように考えるか」ということがいつも明確に書かれているからだ。何をどのように実践するか、が明確に書かれている。実践は常に「肉体」によって具体化される。「肉体」が動くのが「実践」である。
そして、この「どのように」に眼を向けるとき、伊東の「思想(肉体)」を特徴づけることばがあることにも気づく。「道」のつくり方を特徴づけることばがあることに気がつく。「思想」の根本を明確にすることばがあることに気づく。
「領土問題」に触れた部分。
橋本内閣の池田外務大臣が(尖閣列島を)日本の領土であると言っても矛盾はないかもしれないと外務省は主張するだろう。しかし、中国側の主張を並べ二四年前の決着に言及しないのは、公平ではない。( 133ページ)
「公平」。これが伊東の「思想」の中心にあると思う。経済に関しては、人が働き、金を稼ぎ、日々を暮らす。そのとき、富はどのように分配されるのが「公平」なのか。その「公平」のためには何をすればいいのか。何を「どのように」考えていけば、「公平」が実現されるのか。安倍のやろうとしていることは「公平」からどれだけ遠いことなのか--そういう指摘を伊東はしている。また外交については、他者の主張をどれだけ聞き入れ、自分の考えと共存させるか、共存のためにはどんなふうに考えをととのえるべきなのか--そういう問題を、歴史を踏まえながら(先人の「道」のつけ方を辿りながら語っている。
伊東の文章には、私はいつも目を開かれるが、それは「公平」をめざす姿勢にゆるぎがないからだ。
(私のきょうの「日記」は本の「内容(概要)」の紹介にはなっていないが、伊東のしている分析の紹介はすでに多くの人がしていると思うので、あえて書かなかった。伊東の何を私が信頼しているか、ということを書いてみた。)
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