「永遠」は古代インドの叙事詩「バガヴァッド・ギーター」に題材をとっていると中井久夫は注釈に書いている。
インドのアルジュナは、人々の側に立つ優しい王、
殺戮を憎む王だった。一度も戦争を仕掛けなかった。
そこで、恐ろしい戦争神はご機嫌斜め。
(神の栄光は目減りし、神殿には人が寄らなくなった。)
一行目と二行目は「事実」の描写になるのだろうか。そのあとの展開がおもしろい。「そこで、恐ろしい戦争神はご機嫌斜め。」はやはり「事実」の描写なのかもしれないが、「主観」を「ご機嫌斜め」という具合に「俗語」で語るのが愉快だ。「神」がとても人間臭くなる。「そこで」というつなぎことばもおもしろい。理由を受けるのだから、「それで」(戦争を仕掛けなかったので)ということばが自然なのだろうが、「それで」では「心情(心理)」になりすぎるかもしれない。「心理」をあたかも「事実」のように、外から描写しているのが、また「神話的」な感じで、さっぱりしている。
四行目の「目減り」ということばもリアルな感じがする。経済活動、取り引きという感じだ。神と人間は「信仰」というより「取り引き」なのか。生々しく、俗っぽく、人間っぽい。神が神ではなく人間と対等になっている。
だから、つづく五行目。
怒りにあふれて神はアルジュナの宮殿に足を踏み入れた。
この「怒り」ということばがいきいきしてくる。まるで人間の反応である。そして、人間そっくりに、宮殿に「足を踏み入れた」。天から下りてくるというよりも、地上を歩いて、門を開ける、ドアを開ける感じがする。
王はおののいて神に言上。「大神さま、
お許し下さい。私には一人のいのちも奪えませぬ」
神は叱りつけた。「おまえはわしよりも正しいと思いおるのか。言葉に迷わされるな。
いのちなど奪わぬ。生まれた者がそもそもなく、
死ぬ者も全然おらぬ。わかったか」。
「言葉に迷わされるな」とは「間違うな」という意味だろう。「迷って、違った言葉をいうな」。なぜなら、ことば(世界のあり方)は神がつくるものであって、人間が判断することではないということなのだろう。
人間は何もしない。するのは神である。人間にすることがあるとすれば、神を理解すること。最後の「わかったか」は、その念押しだ。
神の「主観」がいきいきと描写されている。
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