「喜望峰」は子どものときに大好きだったバターの思い出を書いている。大好きだったバターの味がある日、変わってしまった。そして、それ以後、同じ味を二度と味わっていない。そのバターに半世紀ぶりに出会った。内田百間(正しくは「門」構えに「月」だが表示できないので代用)の文庫のなかに、そのバターは出てきた。
百間先生の「バタ」は遠く喜望峰を経て船
で運ばれてくる缶詰だから独特の強い塩味があった。私はその頁の
前で釘付けとなった。靴墨のような缶詰の蓋の厳めしい模様と得体
の知れない外国語、蓋を剥がした油紙の滲んだ手触り、パンに擦れ
ば陽光のように忽ち明るく華やかに蕩け出す琥珀色、
百間の文章が池井の記憶になって動いている。「靴墨のようなから」始まる、たたみかけるような、指にからみついてくるようなリズムがいいなあ。漢字のまじり具合が、とても古めかしくて、そうか昔はバターはこういう感じだったのか、と思う。
「パンに擦れば陽光のように忽ち明るく華やかに蕩け出す」は百間のことばか、池井のことばかわからないが、「蕩け出す」と「華やか」が一緒になるところに、「肉体の愉悦」のようなものを感じる。「陽光」「明るい」「琥珀色」は視覚を刺戟するが、そこに「蕩け出す」が加わると、眼で見ているというよりも、胃で見ているという感じになる。池井は何でも胃袋で昇華してしまうのだ。(若いときの池井は、凄まじい肥満体であった。)こういう「肉体感覚」に満ちた描写、ことばの動きはいいなあ。バターを忘れて、バターを食べている太った池井が目の前に浮かんでくる。その池井の肌からバターのとけた色がにじみ出している。そして池井の肉体を蕩けさせている。
蕩けるには、なにか輪郭をなくす(輪郭をはみだす)という感じがあって、幸福というのは「蕩ける」ことなんだなあ、と思う。輪郭をなくして、何でも受け入れて豊かになっていくことなんだなあ、と思う。(その直前に出てくる、靴墨、厳めしい蓋との対比が、より強く、そう感じさせる。)
また、この「蕩ける」は、私が池井について書くときつかってきた表現でいうと「放心」に似ている。自分がどうなってもいい、という感じで、すべてを開け放つ感じにも似ている。開放と放心と蕩けるは、池井のなかでは、どこかでつながっていると思う。
で、この描写は、実は、次のようにつづいていく。
琥珀色を透か
して生き活きた生家での幼年時の刻々がありありと蘇ってきた。祖
父はかつて郷里の商戦会社を営んでいたから大陸との交易があり、
喜望峰を巡り大陸を経てもたらされた塩気の強いバターは我が家の
常備菜だったのだろう。その祖父も、祖母も父も疾うに逝き、息子
たちが巣立ち、異境を転々とする日日の生計の果てに、思い掛けな
いこんな遠くで、私はあのバター付きパンを再び手にしていたのだ
った。
思い出すのはバターの味だけではなかった。
バターを思い出したとき、祖父の「暮らし」を思い出した。そして、そこに「暮らし」が見えてきたとき、自分が好んだものの「正体」を知った。祖父がいて、その祖父が「世界」とつながっているから、バターがあったのだ。人と暮らすということは、広々とした世界へつながっていくことだ。広々とした世界とつながると、池井は「蕩ける」のだ。
それは、バターを思い出しているのか、祖父を思い出しているのかわからない。
いや、「わからない」のだけれど、「わかる」。
祖父がバターであり、バターが祖父であり、その一体になったものが世界だ。
何かを思い出すとき、その何かと一緒に生きている「人」をも思い出す。そして、その「人」こそが「世界」だったと、「わかる」。祖父がいて、父がいて、世界は海を越えて、喜望峰を越えて広がっていく。どこまでも、誰かが、何かをつなげている。「一つのもの」(たとえばバター)は必ずほかの誰か、ほかの何かと「一緒」に存在する。その「一緒」のなかに、池井はいつも「蕩け」てゆく。
こういうことを池井は抽象的な概念ではなく、バターの具体的な味として、バターの缶詰の具体的な手触りとして、肉体で覚えている。その覚えているものと池井は正直に向き合っている。
正直が、そこに起きていることのすべてを「必然」にかえる。喜望峰を越えてきたバターが好きというのは、偶然ではなく、池井にとっては「必然」。祖父がいて、父がいるという「暮らし」が「必然」であると同じことなのだ。
あ、こんなふうに、私は正直には書けないなあ、と思う。
この「必然」の「正直」にたどりつくまでに、池井がどんなふうに生きてきたのか。それは「わからない」けれど、ことばのなかにある「正直」と「必然」がとても静かに伝わってきて、これはすごい詩だなあ、と読むほどに感動する。
![]() | 冠雪富士 |
池井 昌樹 | |
思潮社 |