一月一五日に上京したとき、
一月一五日に上京したとき長谷川等伯を見た。
上野の国立博物館の二階の二号室。
入った瞬間に、雨にぬれた。
墨の濃淡が描く雨が部屋中に広がっていた。
松は屏風のなかでけぶっていた。
雨がわずかな風に、集まったり散らばったりしている。
松と松の間を雨が近づけたり遠ざけたりしている。
その雨が屏風からあふれ、流れ、ただよって、私を取り囲む。
そう書くと詩になるかもしれないが。
違った。
私は雨ではないものにぬれた。
私は、ふるさとの山の中にいる。
山では雨は空から降るのではない。
地面から水蒸気がわきあがる。
土の温かさがこまかい水分を蒸気にして吐きだす。
それがゆらゆらと揺れる。
細かな蒸気はゆらゆらと高みへのぼり、空にたどりつき、雲になり
雨になってかえってくるのだが、
寒い日は水分は天にまでのぼりきれない。
雨になれないまま、不完全に、そこにただよっている。
ただよって広がっていく。
形をくずしていく。
さびしい、かなしい、こまかなこまかな水蒸気。
山は、まだ何かを吐きだそうとしている。
飽和しているもののなかへ。
その飽和を抱え込み、しかも揺する山の土の、草の、湿り。
微分も積分もできない、
灰色の輝き。
ああ、これは能登のつけ根の、ふるさとの山じゃないか。
七尾からつながっている能登の山の
どこへもいかない湿り。
どこへも行けないものたち。
見たことがある。
私はそれを見ている。
松ではなく、その細かな息のような水の形を。
山の気配を。