西脇順三郎の一行(72) | 詩はどこにあるか

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西脇順三郎の一行(72)

「田園の憂鬱(哀歌)」

--「どうもよくみえない」

 これは眼鏡が曇ってよく見えないので、眼鏡を吹きながらの「台詞」になるのだが……。行頭の「--」。これがちょっとおもしろい。西脇はひとのことばを引用(?)するとき、鍵括弧をつかっている。この行でも「 」は書かれている。
 では、なんだろう、これは。
 「間」なのだと思う。眼鏡を拭くという行動がある。それからことばが出てくるまでの「間」。
 「間」と沈黙は同じものだろうか。違うものだろうか。違うと思う。「間」は文字通り、何かと何かの間。沈黙は「間(あいだ)」にあるものではなく、それ自体で存在する。でも、「間」は単独では存在できない。
 ということは。
 「間」とはリズムということかもしれない。
 「音楽」にはいろいろな種類がある。ことばの音楽では、もっぱら音韻が語られる。リズムの場合でも音韻数(あるいは拍)が語られる。しかし、それ以外にも「間」のリズムがある。
 西脇は、そういうものも再現できる「耳」をもっていたのだ。