スティーブン・ソダーバーグ監督「マジック・マイク」(★★★) | 詩はどこにあるか

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監督 スティーブン・ソダーバーグ 出演 チャニング・テイタム、アレックス・ペティファー、マシュー・マコノヒー


    
 チャニング・テイタムの自伝(?)的な映画だそうである。
 で、ダンスが上手い。彼のダンスを見るだけのために見にいってもいいけれど、もうひとつの見どころは、マシュー・マコノヒーの挑発的なすけべな感じ--これが、いいなあ。だいたいマシュー・マコノヒーの声がすけべだね。ひとを見下しながら、その見下した感じを「甘さ」でつつんで隠す。「甘さ」は誘いでもあるんだけれどね。
 ちょっとおかしい(?)が、チャニング・テイタムの体験をもとにしながら、実際に彼が演じるのは若い時代のチャニング・テイタムではなくて、若い時代はアレックス・ペティファーが演じるということ。女を引きつける、女心をくすぐる魅力があることを、プロのストリッパー(チャニング・テイタム)に見抜かれ、その業界に誘われ、思わぬ実力を発揮する。チャニング・テイタムが誘い込まれる青年ではなく、誘い込む方を演じている。
 で。
 そうなると、チャニング・テイタムはチャニング・テイタムとして魅力的でないといけないのだけれど、アレックス・ペティファーにも魅力がないといけない。そして実際にアレックス・ペティファーには初な魅力があって、それがなかなかいいのだけれど。
 あ、
 映画が分裂してしまうね。
 チャニング・テイタムは、ストリッパーの過去をもつけれど、その世界から脱皮してきてスターになっている。だから「汚れ役」ではまずい。きちんと(?)描かないと、いまのチャニング・テイタムを否定することになるからね。
 かといって、節操のある(?)ストリッパーというだけでは、とてもうさんくさい。どうしたって、自堕落(といっていいのかな?)な面を描かないと、ストリッパーの世界がほんものに見えない。--まあ、自堕落でないとほんものではないというのは偏見かもしれないけれどね。
 で、その自堕落をアレックス・ペティファーが演じるのだけれど、さて、どこまで自堕落に、なおかつ魅力的に描くか。
 スティーブン・ソダーバーグもチャニング・テイタムも、ちょっと踏ん切りが悪い。主役にしてしまえばいいのに、あくまでスティーブン・ソダーバーグを主役にしているので、なんだかなまなましさが半減する。清く、明るいストリッパーという感じ。生活感覚がない。ドラッグとセックスだけでは、生活の「味」が滲み出ない。
 まあ、そこでマシュー・マコノヒーの出番がある。得な役といえば得な役なんだけれど、ちゃんと得しているところが偉いなあ。ストリップも披露しているし。歌も歌っているし……。
 3人に見どころを与えてしまったために、魅力が三分の一になった、という感じ。1+1+1=3、という算数は、映画ではむずかしい。
 これは余談なのだけれど……こういう映画は日本ではつくれない。日本では男のストリッパーはむずかしい。なぜかというと、日本には百円札がない。アメリカには1ドル札があるので、ふんだんに(?)1ドル札をつかって男の体に触れる。日本だといちばん小さい札でも千円。チップにはつかえないねえ。毎日かよって遊べるのは、よほどの金持ちだけに限られる。そうすると、どうしたって、不健康になるなあ。……ということで、これはある意味、1ドル札の楽しいつかい方を教えてくれる映画でもあるのだけれど。(こんなことは、きっとだれも書かないだろうなあ。ソダーバーグが読めばびっくりするだろうなあ。)
           (2013年09月01日、ユナイテッドシネマ・キャナルシティ8)
 






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