谷川俊太郎『こころ』(26) | 詩はどこにあるか

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谷川俊太郎『こころ』(26)(朝日新聞出版、2013年06月30日発行)

 「ペットボトル」の1連目。

中身を飲み干され
空になってラベルを剥がされ
素裸で透き通るペットボトル
お前は美しい と心は思う

 最後の「心は思う」は、なぜ書いてあるのだろう。ないと意味は通じない? 言い換えると、ペットボトルは美しくなくなる? そんなことはないね。
 では、なぜわざわざ書いたのだろう。
 「心」を強調したかった。ペットボトルを書いているふりをして、こころはこころの「理想」を描きたかった。中身がなくて、ラベルもなくて、丸裸で・・・「無心」ということかな?
 「無心」って、どういうこと?

何ひとつ隠さない肌の向こうで
コスモスがそよ風に揺れて
空っぽのペットボトルは
つつましくこの世の一隅にいる

 無心は「つつましくこの世の一隅にいる」ことではなくて、そんな自覚もなくて、「コスモスがそよ風に揺れて」いること。自分だはなくなって、別の存在をあるがままに世界の中心に引き出してくることだ。
 ペットボトルをテーブルの上において、その向こう側に、「コスモスがそよ風に揺れて」いるのを見つめたくなる。そのとき私はペットボトルだろうか。谷川俊太郎だろうか。コスモスだろうか。

ぼくはこうやって詩を書いてきた 谷川俊太郎、詩と人生を語る
谷川 俊太郎,山田 馨
ナナロク社