これは、なかなかわかりにくい映画である。フランスのファッション、調度の詳しい人が見ればすぐに気が付くことなのかもしれないが、私は途中までこの映画が何を描いているのかがわからなかった。
はっと気が付いたのは、85歳のジャンヌ・モローに50代(60代?)のパトリック・ピノーが添い寝しているとき。ジャンヌ・モローがパトリック・ピノーのシャツのボタンを外す。手を男の胸に這わす。それからジャンヌ・モローの手が男の股間に伸びてゆく。
男「何をしてるんだ」
ジャンヌ・モロー「思い出をたどっているの」
ジャンヌ・モローが演じている女は、過去の輝かしい思い出を生きている。今を生きようとはしていない。その生き方が、たったひとりの暮らし、だれにも会わないのに、きちんとドレスアップし、豪華な真珠の首飾りを付けているところにあらわれている。ティーカップも、とても豪華(高価)にみえる。怒りにかまけて、投げつけて割った後、残ったソーサーを見つめるシーンがあるが、男の股間をまさぐる前だったので、ソーサーを眺めるシーンの意味が分からなかったが、あれは「思い出」を反芻しているのだ。ティーカップの1個1個のも思い出がある。――これは、調度に目利きの人なら即座にぴんと来るシーンなのだと思うが、私はそういうものの価値を全く知らないのでわからなかった。
ファッションにしても、ジャンヌ・モローがライネ・マギーとカフェへ行く準備のシーン。ジャンヌ・モローはライネ・マギーノ、エストニアから着てきたコートではダメ、といって自分の昔のコートを貸す。ファッションに詳しい人なら、それがいつの時代のもので、いくらするかもわかるかもしれない。このコートをジャンヌ・モローはライネ・マギーに「あなたの方が似合うからあげる」というのだが、これは親切であるというよりも、彼女にコートを着せることで「若いジャンヌ・モロー」をジャンヌ・モロー自身がみているのだ。
ジャンヌ・モロー、ライネ・マギーはともにエストニアからパリへやって来た女性という設定だが、先輩であるジャンヌ・モローは、彼女よりは若いラインネ・マギーがパリで人生の思い出となるようなことをしようともしないのに怒っているのかもしれない。「私が若ければ…」というわけである。
ま、こんな「意味」はあまり重要ではない。この映画は、ジャンヌ・モローがどんなふうにパリに溶け込み、同時にパリをどんなふうに輝かせているか(輝かせてきたか)ということに目を向けた方が、きと、生き生きとしたパリが感じられるだろうと思う。先日見た「ニューヨーク、恋人たちの2日間」はパリではなくニューヨークが舞台だけれど、そこに描かれている若いフランス人とジャンヌ・モローの感覚の違いは、パリそのものの美しさの違いとなって表れている。
どのパリの街角も、静かに、豊かに人を受け止めている。――こういうパリを、私は今までに見たことがなかった、と今になって気が付いている。
(2013年08月21日、KBCシネマ1)
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