とてつもなく気持ちの悪い小説である。簡単すぎるのである。読んでいる実感がない。まとまった時間がとれなかったので、とぎれとぎれに読んだのだが、どんな話だっけ? どこまで読んだのだっけ? この人だれだっけ? というような混乱がいっさい起きない。小説って、こんな簡単なことばで書かれたもののこと?
なぜ、こんなに簡単なのか。
作品のなかに「他人」が登場しないからである。主役は、「青豆」と「天吾」と2 人いる。ひとりは女性。ひとりは男性。ひとりはジムのインストラクターであり、必殺仕事人のような殺し屋。ひとりは予備校の数学の教師であり、小説家志望。2 人はまったく別人なのに、私には「違い」がわからない。青豆はこんな風に考えるが、天吾はこんな風に考え、2 人の考えは一致しない。その一致しない部分をめぐって、2人がそれぞれにことばを深めていく、いままでのことばではたどりつけなかった何かを発見する――ということがない。
ふたりは直接出会わない。そして出会わないことをいいことに(?)、厳密な意味で「同じ問題」と向き合わない。ふたりのことばが違う、そしてその違いに気づいて自分のことばを鍛え直すということが回避されている。相手(他人)のことばが自分のことばと違うときづくということは、相手の(そして自分の)思想に気付くということであり、ことばを鍛えなおすとは、それぞれの思想を点検し直す、深める(見落としていた部分を補強する、」修正する)ということなのだが、ふたりにはそういう機会(出会い)がない。主人公がふたりなのに「一人称」の小説である。
これはふたりが出会う何人かのひととの関係においても同じである。青豆も天吾も何人かのひとと出会うが、その出会いをとおして、「このひとは何を考えている? どうしてそんなふうに考えられる? もしかしたら、自分のことばが間違っている?」とは考えない。すぐに「和解」する。相手のことを理解し、受け入れる。「共通語」で語り始める。
何人もの登場人物がいるのに、その出会いは様々なのに、そこには「共通語」しかない。これが「気持ち悪さ」の原因である。
「共通語」をとおりこして、「一人称のことば」で全編が、あらゆる描写が書かれている。
青豆も天吾も誰かと出会うが、ふたりとも、自分のことばをきたえなおすということは一切ないのである。
クライマックス(?)ともいうべき青豆とカルト教団の対面でも、ふたりは互いを理解し合う。殺される人間と殺す人間が「世界観」で和解する。こんな気持ち悪いことがあっていいのだろうか。
「この登場人物大悪人だけれど、とても魅力的、一番好きなのはこの悪人かなあ」「こいつ何を考えているのかわからない。けれど、読んでいる瞬間はそうなんだよなあと思ってしまう」というような、わけのわからない感想に悩まされることがない。
小説の魅力とは、そこに書かれている人物をとおして、自分のなかのわけのわからないものと向き合い、小説家のことばをとおして自分が変わっていくのを感じる喜び(悲しみ、というのもある)なのだが、そういうことは、この作品では起きない。少なくとも私にはそういうことはいっさい起きなかった。
こんな不気味で気持ちの悪い小説は初めて読んだ。
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村上春樹が読売新聞のインタビューで、いやなあ発言をしている。(2009年06月16日朝刊一面、および06月16日―18日文化面)
インターネットで「意見」があふれ返っている時代だからこそ、「物語」は余計に力を持たなくてはならない。
あ、そうなのだ。村上春樹は「物語」を書いているのだ。「物語」を逸脱していくものが「詩」であり「小説」だと思うが、村上春樹は逸脱することばを嫌っている。すべてを「物語」で定義したいのかもしれない。
これはいやだなあ。村上春樹の「物語」で定義されたくない。
世界中がカオス化する中で、シンプルな原理主義は確実に力を増している。こんな複雑な状況にあって、自分の頭で物を考えるのはエネルギーが要るから、たいていの人は出来合いの即席言語を借りて自分で考えた気になり、単純化されたぶん、どうしても原理主義に結びつきやすくなる。
だが、「1Q84」のなかに出てくる「空気さなぎ」「リトル・ピープル」「ふたつの月」はどうなんだろう。「出来合いの即席言語」ではないのか。天吾は(あるいは青豆)、どんなことばで「空気さなぎ」「リトル・ピープル」「ふたつの月」を定義しなおし、その存在があらわすもの意味を深めていっているか。簡単に「空気さなぎ」「リトル・ピープル」「ふたつの月」を受け入れている。主人公の示しているこういう簡単な納得(和解)こそ、原理主義を支えるものではないのか。主人公に原理主義を支える行動をとらせておいて、原理主義を否定しても、説得力を持たない。
「物語」という「原理主義」を押し付けられているような、とても嫌な気分である。
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