水無田気流「偽振動(ふるるる)」 | 詩はどこにあるか

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水無田気流「偽振動(ふるるる)」(「現代詩手帖」2009年05月号)

 水無田気流「偽振動(ふるるる)」は、文字のつかいかたがおもしろい。

低下する体温にカラマリ
きみの影が明度を高め
ふるるる、と ゆれている

 読メル/読メナイ
 言葉が-----
 天蓋(ニセゾラ)
 に ハリつく

夜に振動する気配は
ときどき
きみの真似をして
ふるるる、と 鳴いている

 キレイナニセモノ
 イヤコレハホンモノ
 ホンモノノニセモノ
 カカレタモノトイウホンモノノニセモノ
 ムカシハ
 コンナフウニ
 ニセホンモノガアッタンダネ

膨張していく 偽夜のまんなかで
君の偽影法師だけが
ふるるるるるる、と歌っている

 「カラマリ」は「絡まり」(からまり)と違うのだろうか。違うのだろう。違うのだろうと、私は思う。「絡まり」(からまり)なら、そのまま身動きがとれなくなる。けれど「カラマリ」とカタカナで表記されたことばを見ると、それはほんとうはからまってはいないのだと感じる。水無田のことばを借りて言えば「偽」のからまりかたをしている。からまるふりをして離れている。そこには、何かかしら「嘘」が、「偽」がまじっている。それは、からまりつつ、からまらないというありかたなのだ。
 表記を変えれば
 
絡まり/絡まらず

 という関係なのだと思う。だからこそ、その関係を、水無田は繰り返すのである。

  読メル/読メナイ

 と。そして、このとき「/」は切断ではなく、「ハリつく」という関係なのである。まったく逆のことばでありながら、逆であることによって、たがいにかたく重なり合う。ことばは、つねに、そういう相反するふたつの「意味」を生きている。
 「ニセモノ」と「ホンモノ」は切り離せない。「ニセモノ」があるから「ホンモノ」があり、「ホンモノ」があるから「ニセモノ」がある。その関係は、ただただ膨張していくしかない。そして、その膨張の中で「/」はふるえる。増えながら、ふるえる。
 そうして。
 「きみ」は「君」になる。「ふるるる、と ゆれて/鳴いている」は「ふるるるるるる、と歌っている」になる。「る」が増殖し、「と」のあとの1字あきが消える。
 何が起きた?
 どっちが「ホンモノ」、どっちが「ニセモノ」?

 わからないまま/わからせないまま、この詩は「ふるるるる、と」で終わる。フルートのふるふるという音のように、それは、私には美しく聞こえる。



音速平和
水無田 気流
思潮社

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