『田村隆一全詩集』を読む(99) | 詩はどこにあるか

詩はどこにあるか

詩の感想・批評や映画の感想、美術の感想、政治問題などを思いつくままに書いています。


 『TORSO』(1992年)。「位置」という作品。短い。とても緊張感がある。

トルソ 悲しみの
トルソが誕生するには
破片

断片とが
一瞬のうちに集ってこなければならない

トルソ エロスの
トルソが呼吸するまえに
破片と断片とは
もとの位置にさがるべきだ

そしてトルソは
物質になる

 「破片」と「断片」はどう違うのか。この作品では何の説明もない。田村はそのふたつを区別している。その破片と断片の関係に似たものに、「悲しみ」(1連目)と「エロス」(2連目)があり、「誕生」(1連目)と「呼吸」(2連目)がある。そして、それが似たものとして呼応するとしたら……。
 1連目「集る」(集ってこなければならない)と2連目「さがる=離れる」(もとの位置にさがる)は似たものとして呼応しなければならないことになる。
 ここに田村の特徴がある。
 「集まる」と「離れる」はもちろん「同じ」でもなければ「似てもいない」。まったく反対のものである。その反対のものが同じである。似ている、というのは「矛盾」である。「矛盾」こそが田村の詩の神髄である。
 そして、その矛盾の中で

そしてトルソは
物質になる

 「なる」、という世界が登場する。

 この詩が緊迫感に満ちているのは、そこに田村の思想が凝縮しているからである。
 「矛盾」と「なる」は次の詩に引き継がれる。「物」。

物質となって
トルソの内面に色彩の
親和力が生れる

その力がなければ
あらゆる物質は崩壊するにちがいない
都市も
国家も

 「親和力」と呼ばれているのは何だろうか。「矛盾」、つまり相反するもの、つまりまっこく別個のものが、同時に存在するとき、それを結びつけるものとしてはたらく力である。親和力が存在するためには、違ったもの、ことなったもの、別個のものが存在しなければならない。--つまり「矛盾」が存在しなければならない。

 田村のことばは、いつでも「矛盾」とともに動いている。





靴をはいた青空〈3〉―詩人達のファンタジー (1981年)
田村 隆一,岸田 衿子,鈴木 志郎康,岸田 今日子,矢川 澄子,伊藤 比呂美
出帆新社

このアイテムの詳細を見る