『田村隆一全詩集』を読む(98) | 詩はどこにあるか

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 『絵本 火垂るの墓』(1987年)。私が読んでいるテキスト『全詩集』(思潮社版)には「絵」はない。文字だけである。
 この作品では「あつい」と「つめたい」が繰り返される。

大きな鳥 ぎんいろの鳥
アメリカ生れの 大きな鳥
その鳥が 熱(あつ)い卵(たまご)を
たくさん 産(う)んだ

熱い卵は 知ってる家
知ってるオバさん あそんでくれた
おにいちゃん 子どもたち
犬も 猫(ねこ)も もやしてくれる

熱い卵 つめたい心
おにいちゃんの 熱い腕(うで) あつい心
いくら 水があったって
あつい心の 火は消せない

 野坂昭如の『火垂るの墓』の語り直しである。
 「熱い卵」の「つめたい心」のせいで、生きているいのちは「もえて」「つめたく」なる。けれども、そのいのちの「あついこころ」はなくならない。
 後半が、特にせつない。

あつい光
つめたいからだ

太陽の 子どもたち

みんなが
かえる 口笛(くちぶえ)を ふきながら

おにいちゃん わたしの 頭の
うしろを もんでくれる

あつい心がうまれるように
つめたいからだが よくなるように

わたしは ねむくなった
つめたいからだ

あつい涙(なみだ)が チョッピリ
ながれた

 せつなさは、「あつい心がうまれるように/つめたいからだが よくなるように」の繰り返される「ように」に結晶する。「ように」のあとには、ことばが省略されている。「祈りながら」「願いながら」ということばが。



青いライオンと金色のウイスキー (1975年)
田村 隆一
筑摩書房

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