藤原菜穂子「雪の降りはじめた午後」は犬小屋に置き去りにされた犬を描いている。その最終連。
二月 雪の降りはじめた午後おそく
犬は小屋から出て
娘の来る方向へ身を投げるようして倒れていた
長い鎖をぎりぎり引っぱって
暮れてゆく雪のむこうへ
飢えたたましいが跳び出した
こらえきれず 息絶えてしまった
娘はまだ来ない
雪は降る 静かな白い布を広げるように
「飢えたたましいが跳び出した/こらえきれず 息絶えてしまった」の2行。「こらえきれず」がとても痛切である。
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宮城賢「傘寿から惨寿へ」は、人間の「死」と向き合っている。高齢になって、突然、食べ物が食べられなくなった。胃がうけつけなくなったのだ。今夜は肉料理だというけれど、食べられるだろうか。それを心配している。すると……
お父さん、もうちょっとの辛抱よ
そんな妻の声が聞こえる
ああ、さうだといいけどな
さうだわよ、きっと
妻には生者には見えぬものが見えるらしい
死者は偉大なものだ
「もうちょっとの辛抱よ」。この「辛抱」は、藤原の描いていた犬の「こらえきれず」と同じものである。それにしても「もうちょっとの辛抱よ」はいいなあ。もう少ししたら、食べ物なんか関係なくなる、死んでしまえるから。生きていることとは、苦しみをこらえることなのだ。
これは、死を受け入れはじめている、というより、生きることは苦しいことだということを受け入れはじめている、ということである。苦しいということを受け入れ、もうちょっと、もうちょっととこらえて生きる。
「もうちょっと」はなかなか言えない。いつでも言えなければならないことばなのだろうけれど……。