『田村隆一全詩集』を読む(90) | 詩はどこにあるか

詩はどこにあるか

詩の感想・批評や映画の感想、美術の感想、政治問題などを思いつくままに書いています。


 「一滴の涙」は短い詩だが、とても美しい。

サイトウ・キネン・オーケストラの
「 ザ・ウエイ・オブ・マイライフ」という
ロンドン初演の交響曲を
近所のオールド・ボーイ・スカウトの
元気な老人に教えられて
ぼくはNHK kw遺贈で聴いた 見た
作曲は武満徹 指揮は小澤征爾
混声合唱団と斎藤秀雄先生の優秀なお弟子さんたちの
オーケストラ テーマは ぼくの詩「木」と散文と対話

「時」が過ぎるのではない 人が過ぎるのだ

よく眠ること
よく歩くこと
ぼんやりしていること
みんなで美しくぼけましょう

歌手はバリトンのドワイン・クロフト
曲がフィナーレに入って小澤征爾の目から
一滴の涙がおちるまで
三十五秒

 私が特に美しいと感じるのは、「「時」が過ぎるのではない 人が過ぎるのだ」という1行と、その次の連である。小澤の演奏を聴きながら思い浮かんだことなのだろうけれど、それがどうして小澤の演奏と関係あるのか、小澤の演奏のどの部分と関係があるのか、明確ではない。けれども、そこには不思議な悲しみがある。寂しさがある。そして、その寂しさのことを考えると、「一滴の涙」のまえにおさめられている「養神亭」がとてもなつかしくなる。「養神亭」の最後の1行、

いくら探しても養神亭は消えていた

 ということばが。

 「「時」が過ぎるのではない 人が過ぎるのだ」という1行と「いくら探しても養神亭は消えていた」は、深いところで響きあっている。

 この「時」とは何なのだろうか。それは「時間」とは違うものなのだろうか。

その足で養神亭という明治創業の
古い割烹旅館を探して歩いた 大正十二年九月一日の関東大震災 その翌二日
第二次山本(権兵衛)内閣がこの宿で成立
昭和九年 ぼくは尋常小学校六年生
夏のあいだ滞在していた明治生れの祖父に呼び出されて
ぼくは横須賀線に乗って養神亭に泊った
その晩 六年生だというのに寝小便
明け方までからだを左右に動かして体温でオネショを乾かす
翌朝 夜具を押入れにつっこみ
なに喰わぬ顔をして ぼくは東京へ帰る

いくら探しても養神亭は消えていた

 「時」とは、たしかに「過ぎる」ものではなく、そこにとどまっているものなのだ。そこにあるものなのだ。「大正十二年九月一日」という「時」。「その翌二日」という「時」。「昭和九年」という「時」。それは探さなくても、いつでも、そこに「ある」。そして、その「時」と「いま」が結びついたとき「時間」が生まれる。「時間」のなかを「人」が、つまり「ぼく」が過ぎてきたことがわかる。「ぼく」は「ぼく」ではなくなっている。「ぼく」は「ぼく」ではなくなったのに、そこには「ぼく」というものが「時」と同じように「ぼく」のまま、残っている。「とき」とともに、そこに「ある(残っている)」。その、「残っている」ことが「時・間」の「間」なのだ。「時」と「時」「間」を「残っている」ものが埋める、つなぐ、そして「時間」になる。
 そして、その「残っている」ことのなかには、「ぼく」以外のものも含まれる。
 「時」と「時」の「間」で、「養神亭」もまた「過ぎて」、「養神亭」ではなくなっている。そして、なくなったこと、消えることよって、「養神亭」は「残る」。もし、消えずにいまも「養神亭」が存在するなら、そこには「養神亭」はない。
 「矛盾」である。
 この「矛盾」は「時間」、「時・間」を省略するために起きる。「時・間」のなかに「養神亭」が「ある」。そして、そこを「過ぎて」いるのだ。移動しているのだ。人間が移動する(成長する、年をとる)ように。
 「養神亭」が移動するというのは論理的にありえない。「矛盾」であるが、「矛盾」であるからこそ、いまも「養神亭」が存在するなら、そこには「養神亭」はないという「矛盾」をかき消すことができる。

「時」が過ぎるのではない 人が過ぎるのだ

 物理学なら、たぶん、こんなふうには言わない。「時」は過ぎる。また人も過ぎる。人の運動とともに「時」も運動する。運動の経過を数値化するために時という「物差し」が採用される。「過ぎる」という運動と「時」は分離不能である、というかもしれない。
 だが、詩は物理学ではない。だから、その論理を逸脱していく権利を持っている。詩のことばは「わざと」ことばは逸脱していくのだ。

「時」が過ぎるのではない 人が過ぎるのだ

 この1行は、「わざと」書かれたことばなのである。「よく眠ること」からはじまる4行も、「養神亭」にとまったとき寝小便をしたということも「わざと」書かれたことなのである。
 あらゆる「もの」(できごとを含む)は、それぞれの「時」とともに、いつも「そこ」にある。その「時」はどんなにかけ離れていても、「四千年まえの 二千年まえの 百年まえの」(「哀」より)の「時」であっても、「いま」と対等に結びつく。人間の「肉体」は4000前と1秒前を識別できない。その識別できないものを「頭」は識別し、「間」をつくりあげる。そして、その「間」を「肉体」がつなぐのである。

5分前 (1982年)
田村 隆一
中央公論社

このアイテムの詳細を見る