海埜今日子「《わたしは水に忘れないで、》」、野村喜和夫「旅の驚異」 | 詩はどこにあるか

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海埜今日子「《わたしは水に忘れないで、》」、野村喜和夫「旅の驚異」(「hotel 」21、2009年03月01日発行)

 海埜今日子「《わたしは水に忘れないで、》」は、ミレイの「オフィーリア」を見た感想、印象を詩にしたものである。不思議な表記がある。

こゆびをふきとったせいしんになる。あのひとは、そうつたえ(られないいみをぬぐいながら、だんぺんとなったかつじのいくばくかはひろいあつめ、うしみつどきにいのりをこめて)、およぐこえはたてごとです。

 「そうつたえ」のあとかっこ記号がつづきことばが挿入されるのだが、それは「つたえられない」というひとつの文章にもなっている。たどってきた道が、そのかっこ記号のところで二股に分かれ、どちらへ行っても、道は道である、どこかへつづいていくという感じである。
 こうした文体は、その後も登場する。

へだたったほとばしりを、しげみのなかでそうさいしたのか(もしれない、よふけにうまれつつあるはなばなのことば、たちは、しんそこぺんさきをひたしていたのだと)、やなぎ、かなしんで

ゆびのうかんだがっきです、からんだうたをちんもくし(たのだと、うしみつどきはきびすをかえした、はなをつままれても、つまりかつじはみあたらないのだ)、きおくはいまをあるひながれ、

 そして、二股に分かれた道を、こっち別の道と信じて歩いていくと、またいつの間にかかっこが閉じられ、もとの道につながる。
 迷子になったのか、迷子にならずにすんだのか、わからないまま、見知らぬ街を歩いているような不思議な感じである。
 海埜にとって、何かを、たとえばミレイの「オフィーリア」を見るというような行為は、たぶんそういう感覚なのだろう。見知らぬ街を歩き、いくつもの枝分かれした道をたどり、その先々で新しいものを発見し、それが積み重なって「街」になる。言い換えると、「世界」に、あるいは「現実」になる。--海埜にとって、「世界」「現実」とは複数の道が交錯し、つながり、ひろがっているものなのだ。どの道が正しいということはない。どの道も同じである。どれだけ多くの道をたどることができるか、どれだけ多くの道を体験できるかが問題なのだ。
 道は複数に広がる。その道を「ひとつ」に統一しない。--その意志は、たとえば漢字を拒み、ひらがなをつかう表記にもあらわれている。ひらがなは、簡単な文字であるけれど、つまり誰でもが読める文字であるけれど(なんと読んでいいかわからない文字はないけれど)、読み違いも誘う。漢字なら間違わずに読めても、ひらがななら間違えるということがある。たとえば、

はなをつままれても

 私は、このことばを「花を摘まれても」「花を包まれても」とも読んだ。引用しながら、あれっ、何か書き写し間違えているような気がすると思い、じっくり読み返し、えっ、「鼻をつままれても」なのか?とびっくりした。
 読みながら、私は、海埜が書かなかった道まで歩いていって、迷子になり、もどり、また迷い、えっ、これでいいのか?と驚いたのである。
 私は海埜のことばを引用するにあたって、たぶん、いつくかの誤記(書き写し間違い)をしているだろう。引用しなかった部分も「誤読」しているに違いない。けれど、開き直っていうわけではないけれど、海埜のことば、海埜の詩は、そういう誤読を承知で提出されていると思う。
 誤読のなかに、別の場所へ通じる道があるのだ。
 そして、その「別の場所」というのは、実は「いま」「この」場所にほかならない。「いま」「ここ」というのは、実は、いくつもの「場」なのである。
 海埜のつかっているかっこ記号( )は、一方で何かを閉ざし、他方で何かを解放する魔法の扉なのである。その、魔法の扉こそ、海埜の「思想」(肉体)である。



 野村喜和夫「旅の驚異」は、海埜の作品を「とある熱帯アジアの国を旅した」ときに置き換えたものである。そこには共通の「思想」がある。あるひとつの「道」をたどり、何かに出会う。そのとき、その何かは「ひとつ」ではない。常に複数のものがかたくむすびついていて、私たちは、その複数のなかから何かを選びとってさらに先へ先へと進むのだが、それは「ひとつ」からずれることであり、同時に「ひとつ」そのものになることだ。あるいは、どれだけ多くの複数にであうことができるかによって、ほんとうの(?)「ひとつ」にたどりつけるか、たどりつけないかが問われている。
 野村は、はげしく複数を求めることで、「ひとつ」の世界をめざしている。いくつもの書き方を(文体を)次々につかうのも、そういう「思想」が彼の「肉体」だからである。


隣睦
海埜 今日子
思潮社

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スペクタクル
野村 喜和夫
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