用心 リッツォス(中井久夫訳)
そうだな。まだ声を落としていたほうがいい。
明日か、その明日か、いつか、
別の連中が旗を掲げて叫んだら、
きみも叫べよ。
だが用心だ。帽子を眼深くかぶれよ。
ぐっと、ぐっとだぞ。
何を見てるか、悟られるなよ。
叫んでいる群衆の眼が
何も見てないことが分かってても、だよ。
*
この詩は二通りに読むことができる。仲間(友人)が別の仲間に語りかけている。友が私に語りかける。あるいは私が友に語りかける。そういう読み方と、私が私に語りかける。つまり、こころのなかの対話というふうな読み方もできる。
私は、後者の方を取る。「用心」とはもともとそういうものだろうと思う。
最後の3行が、とてもさびしい。かなしい。内戦の果ての、孤独を感じる。「何も見てないことが分かってても、だよ。」の読点「、」の一呼吸に、深い深い孤独がある。自分としか対話できない、孤独の悲しみがある。読点「、」の一呼吸が、「私」というひとりを「私」と「私」に分断し、対話を念押しする。