リッツォス「手でくるんで(1972)」より(9)中井久夫訳 | 詩はどこにあるか

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ピレフス港・拘置もの移送所    リッツォス(中井久夫訳)

一枚の毛布にくるまる。「柏餅」だ。発熱。セメント。湿り気。
髪の汗臭さ。壁に爪で刻んだ字。
名。日付。小さな「契約の石」。同じ悪夢が
同じたいまつで傷口を開く、--「今晩だ」「今晩だ」
「明朝の夜明けだ」と。
鍵孔に鍵がはまり、
投げた最後の煙草がまだ床でくすぶっているのに
長い鎖が果てない白い線の上を引きずって行く時、
ここを出るものがいて、ぼくらのことを覚えているだろうか?

   柏餅…一枚のふとんを上下に着る(本邦の俗語)。
   契約の石…神がモーセに下された十戒を書いた石板



 リッツォスが実際に「拘置所」あるいは拘置者移送所を体験したかどうか、私は知らない。詩人が書くことは体験したことだけとはかぎらない。見聞をもとにして、自分のことばを動かす。そういうことがあっても、不思議はない。リッツォスのように映画的な作品を書く詩人なら、なおのことそういう思いがする。
 前半の「もの」の素早い描写の積み重ね。それからひとの動きを交え、最後にこころを描く。一連の、リッツォスのことばの動きが、ここでも同じように動いている。
 前半の単語の積み重ねに対して、後半の「投げた最後の煙草がまだ床でくすぶっているのに」という粘着力のあることばの動きがおもしろい。ことばの粘着力がこころの動きを、点ではなく線として描き出す。リッツォスには、点と線との対比がある。