私は堀内幸枝のことをほとんど知らない。堀内幸枝の名前と作品を知ったのは『九月の日差し』(思潮社)からである。この『全詩集』のなかでは最後におさめられている。それ以前の作品はどれもはじめて読むものばかりである。
「市之蔵村」という作品。その書き出し。
私は秋の日のよく照つた山林から
村を眺めてゐた
村の景色は小さく遠ざかつて
青い川と白い村道に綴られ
寄り合ひ染り合つて
屋根ばかり地に落ちた
平面図であった
この1連目の3行目「村の景色は小さく遠ざかつて」の「小さく遠ざかつて」がとても好きである。これは単に山から村を眺めてた「小さく」見えた、ということではない。小さいだけではなく、それは「遠ざかつて」いる。「小さい」よりもさらに「小さく」なっているのだ。
なぜか。
堀内は、そこに見える風景を見ているからではない。そこにある風景を「文学」として見ているからである。「ことば」として見ているからである。「ことば」で再構成して見ているからである。そのとき、「小さく」はひとつの「理想」である。「小さい」ものはかわいらしく、きれいである。堀内は、自分の暮らしている村を「小さく」することで、一種の「メルヘン」のように仕立てている。その「メルヘン」は、村の設計図とともに姿をあらわす。
1連目の「平面図」を受けて、2連目には「立体図」が登場する。
我が胸に湧く今年の村の貧しさ
一粒の繭(まゆ)もない繭置倉庫は
がらんとしてあの壁の落ちた共同穀蔵
村の景色は薄暗い立体図となつて
胸の内に組み立てられる
それは現実の村というより、あくまで「胸の内」の村である。「我が胸に湧く今年の村の貧しさ」の「胸に湧く」が、そのことを明白に語っている。それは、堀内にとっては切実な「肉体」の問題ではなく、あくまで「胸の内」の問題である。「思い」の問題である。だから「メルヘン」というのである。
貧しさはこころをこころをかきたてる。貧しいゆえに、それを清らかにかえる。村に生きるいのちを美しくする。貧しさに耐えて生きる力に、堀内の「胸」は共感しているのである。
これはある意味では「無責任」かもしれない。たぶん、貧しさとは縁遠い場で堀内は暮らしているのだろう。そういう一種の苦労知らずの美しさが、堀内のことばにはある。村で暮らしているひとにとっては、生活は「平面図」「立体図」ではないが、堀内はそれを「平面図」「立体図」という、一度、「頭」をくぐり抜けたものとして眺めている。
堀内は、そういうことを自覚している。最終連。
私はこの市之蔵村に育ち
自分の廻りがなんとなく淋しい時
山へ登つて村をながめる
貧しいから瓦も白壁もない
何時までも残された藁屋根の色と
この空のまぶしい田舎のやさしい遠景を
子どもの日からこう一人で見てゐるのが
好きであつた
この詩には「昭和十三年頃は農村の不況時代であっこ」という「注」がついている。そのころ、つまり堀内が20歳前に書いた作品だろう。その当時から「子どもの日から」というのだから、貧しさと無縁というのが堀内の「ひとがら」でもあると思う。
これは悪いことではない。むしろ、いいことである。ことばが貧しさに傷ついていない。すこやかである。それが「村」を明るいものにしている。
書き出し1連目にもどるが、
青い川と白い村道に綴られて
この1行は、とても美しい。貧しさを拒絶して、純粋に輝いている。こういう清らかなこころの時代をもっているというのはとても貴重なことであると思う。
不思議な時計―堀内幸枝第二詩集 (1956年) 堀内 幸枝 ユリイカ このアイテムの詳細を見る |