アイラ・サックス監督「ああ、結婚生活」(★★★) | 詩はどこにあるか

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監督 アイラ・サックス 出演 クリス・クーパー、ピアース・ブロスナン

 これはちょっと愉快な映画である。
 ストーリーは、クリス・クーパーが妻をも愛人をも寝取られる、というもの。愛人ができた。妻と別れたい。でも、妻には私しかいない。一人にさせるわけにはいかない。殺してしまおう。そして愛人との新しい生活を始めよう、とわがまま放題に考えている。
 ところが妻には愛人がいる。そして、愛人は友人(ピアース・ブロスナン)と恋に落ちてしまう。しかも、その現場をクリス・クーパーは目撃してしまう。
 そんな、ドタバタ・ラブコメディーである。

 ドタバタ、といま書いたが、実はちょっと違う。
 ドタバタしない。ドタバタガあっていいのに、ドタバタがない。実に落ち着いている。慎み深い。ゆったりしている。それが愉快である。

 どうも、この映画は夫婦のドタバタをテーマにしているように見せかけながら、実は、1950年代ころの映画を再現しようとしているように思える。ジャズといい、ストーリーの展開といい、とてもシンプルだ。あれこれ考えずに、ゆったりと時間が動いていくのを味わうことができる。台詞回しも、すっきりと、ていねいにことばを発音している。
 そこでは、もしかすると、一種の理想が描かれているのかもしれない。ゆったりとした人間の寛容さ。そして、慎みが、「手本」として描かれているのかもしれない。
 クリス・クーパーの妻がクリス・クーパーの友人とキスしているのをピアース・ブロスナンは目撃する。目撃されたのに二人は気がつく。そのあとの対応。「秘密にしてね」とは言わない。ピアース・ブロスナンは「何も見なかった」と言う。そして、そこで目撃したことをクリス・クーパーには言わない。言わないということを、妻と愛人は信じている。そのときの、不思議な信頼関係というのだろうか。人間の慎みを守る感じがなかなかいい。誰にでも秘密はある。誰にでもプライバシーはある。それは本人が語りたければ語る。他人が口をはさむことではない。そういう距離感がつくりだす、ゆったりした感じが、古い感じの映画にぴったりあっている。
 クリス・クーパーが、愛人とピアース・ブロスナンができているとわかったときも同じである。「愛人のことで相談したのに、その愛人を寝とるなんて。親友の癖に」などとは言わない。取っ組み合いもしない。あ、今は、愛人はピアース・ブロスナンと愛し合っている。私は恋愛に敗北したのだ--ということを、実に自然に受け入れる。ピアース・ブロスナンも愛人も、クリス・クーパーに謝罪したりなんかしない。私たちは愛し合っています、とことばにもしないが、自然に、そのまま、ふるまう。
 この距離感がいい。
 このときの距離感は、複雑である。複雑だけれど、それをシンプルにする寛容さを、1950年代の大人たちは身につけていたということだろう。いや、そういうものは、いつの時代でも身につけることはできないものかもしれない。そういうふうにありたいという願いが、こういう映画をつくったのかもしれない。
 いまの時代は、こういう距離感はむずかしい。だからこそ、1950年代をかりることで、そういう夢が、大人の童話が描かれているのかもしれない。

 この映画は、いわばきのう取り上げた「ブーリン家の姉妹」と正反対の映画である。人間は欲望をもっているが、寛容さももっている。寛容さが生活をゆったりとさせる。人間関係を豊かにする。人はいろいろ欲望や秘密をもっている。それでも、いっしょに「家庭」を築いてゆける。そういう「夢」が描かれている。
 この映画は、人間をシンプルにしてくれる。




007 / ダイ・アナザー・デイ

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