町田康詩集 | 詩はどこにあるか

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 町田康詩集(ハルキ文庫)を手にして、偶然開いたページの詩は「ロビンの盛り塩」。これがおもしろい。

 米が無い。米が無いので水ばかり飲んでおった。起きていても腹ががぶがぶするばかりでせつないので寝てしまった。夕方、ふと目をさますと妻はどこかに小遣いを隠し持っておったのか、鰻を誂えて食っているではないか。「おい、ちょっと呉れ」「ちょっと呉れ」呉れやがらぬ。口をきかぬのだ。返事をせんのだ。ああ、嫌になってしまった。空の丼を見つめているとからだ中に寂寥感が広がってきて涙が溢れてきた。どうしようもなくなって家を出てどこをどう歩いたか、我にかえるとロビンというの喫茶店の前に立っていた。この家の娘は気が狂っていて、店先に切り花を挿して日がな水をやっている。ここの盛り塩はいつも水で流れてぐしゃぐしゃになっている。

 リズムがとてもいい。特に「おい、ちっと呉れ」から「ああ、嫌になってしまった。」までがすばらしい。男女のいがみあい(?)の呼吸が、そのままリズムになっている。

 こうした作品を読むと、詩にかぎらず文学というのは肉体のリズムをことばにしたものだという気がしてくる。誰もがもっている肉体のリズム、感情のリズム。町田は、ことばを肉体をくぐらせて動かす。